年金で暮らす家

 比較的早い時期にサラリーマン生活と決別した私ですが、いよいよ年金のお知らせが届く年齢になりました。同世代はすでに定年を迎え、それぞれの生き方を次のステージで演じています。
 私も例外ではありませんが、若いと思っていても昔と同じような体力を温存して活動することなど不可能であり、老いを道連れに生きていくことになります。
 
 年金の確定額が届いた日、それなりの感慨があました。ただ、短いサラリーマン時代の企業年金に加え、その後誠実に欠かさず納め続けた国民年金を加えても生存は何とか確保できるようですが、健康で文化的な最低限度の生活を保障した日本国憲法の条文ぎりぎりの暮らしが待ち受けています。実に寂しい思いがあります。
 憲法にある最低限度の生活という定義の受け止め方は千差万別でしょうが、この意味が、かろうじて生きていけるという保障ならこの現実をしっかりと自覚して今後に備えなければなりません。
 
 年金の問題が大きな社会問題になりましたが、その中味は年金そのものの議論ではなく、記録の喪失や紛失という最低限の約束が出来なかったという怠慢が原因のようで実に情けない現実をみました。
 大きな社会問題となりましたが、こんな大事件でさえ誰も責任を取らなくても責められない日本が不思議でたまらず、今もって理解できないのです。
 文句を言いたくても庶民は現実の暮らしを優先させなければならず、それどころではないというのが実情で、この弱みに便乗したような扱いが続いたことは実に人を馬鹿にした扱いでした。
 計り知れない不安と悩みを持つ庶民は今こそささやかながら知恵を出し、がむしゃらに生きるための努力をしなければ生存も危ぶまれる事態となります。
 
 老後に不安を持つ人は多いようです。その対策として物価の安い海外に安住の地を求める人も多いというテレビニュースを興味深く見たのですが、これを実行できる人はまだ恵まれた人のようです。
 私が何度か行ったスリランカでも以前数百万を持参すれば一生暮らせる制度を作りました。医療も税金もかからないので飛びつきたくなる話ですが、そもそも移住は観光でもなく、ある意味お世話になる国家に忠誠を尽くすことです。日本人に欠落しているのがこの意識です。
 最初は良いこと尽くめの誘いに納得して行動するのですが、やがてその小さな決意が揺らぎます。その揺らぎが「望郷の念」です。
 
 若いということは年をとることなど考えたことがないということです。観光とは目的地に出向くことですがその前提は帰る場所を持っているということです。帰る家のない観光旅行はありえません。
 移住とはその大地に骨を埋める覚悟です。物価が安いという理由で安住の地を求めた人たちの多くは、やがて望郷の念を振り払えず死ぬためだけに祖国に寂しく戻ってくるということになります。そんなアジアの国を見てきました。 
 身につまされる話ですが、農業に帰依し大地に土着した農耕民族であった日本人の性がここにあります。
 
 私の基本的な考えは、この暮らし難い日本ですが工夫しながら老後の生活設計をこの国の中で真剣に考えるということであり、乏しい年金で暮らすための環境を自分なりに整えたいという思いです。
 その思いを実行するために計画したのが住まいを考えることであり、テーマは「年金で暮らす家」になりましたが、ひょっとしたら同じ思いの人がいるのではないか・・・それなら一緒に勉強したい!!このページを作ることになったきっかけがこのあたりにあります。
*年金世代に考慮して大きい文字にしました!

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