地鎮祭と氏神様

地鎮祭

 新しい建物を作るときのセレモニーといえば地鎮祭や上棟式を思い浮かべます。地鎮祭をするかしないか・・どうしても必要なのか、など迷う人も多いようです。
 地鎮祭は簡単に言えば、その土地の神様に工事の無事を祈る祭りで、土地の浄化も目的のひとつです。
 日本は国土も狭く、しかも農耕民族であるため土地を巡っての争いはあとをたちませんでした。日本ではこの土地を所有しているのは八百万の神様です。神様の所有地に家を建てるのですから断りもなしに家を建てることはマナー違反で時として神様の怒りに触れます。つまり土地を借りるための『土地借用の儀式』なのです。

 地鎮祭には神道式と仏式とがあるようですが、神道は本来日本の神を崇めていますが仏教は歴史的に見て外来宗教ということになります。
 いずれにしても土地を日本の神様より借用して建てられているのですから、仏教の宗派の別はともかくその精神は大事にされているようです。高野山の塔頭寺院にも祭壇があることからそのようです。
 
 そんな訳で家が完成した時には、地鎮祭で借用契約をした神様をずっと祀るために神棚を設けるのです。これは個々の心の問題だといいますが、現在は神棚も作らず、好き勝手に暮らし、村の鎮守様にお参りすることもない人々が多くなりました。これは神様が怒ると怖いからではなく、根底は穏やかな自分自身の心との話し合いです。

 私の友人に神戸の由緒ある神社の宮司がいます。仕事とのお付き合いではないのですが親しいお付き合いをしています。めったに神様の話をすることも無かったのですが、今回地鎮祭について訪ねお願いしてみました。
 日ごろは何でも聞き入れてくれる好人物なのですが、これに関しては首を縦に振りませんでした。理由は、土地の神様との契約なら自分が出かけるのではなくその土地の神社にお願いするべきだ・・です。
 意味は判りますが、お寺さんはもっと遠いところから法事にやってきます。そんなにこだわる理由は何か?と考えてしまいましたが、とにかく一番宇宙に近い人が言うのだからと納得したものです。
 日本の神様はその土地に宿り我々にお加護を与えてくれるから、遠方の神様に頼むより一番近い神様であるべきなのでしょう。
 持つべきものは友だちです・・・驚いたことにある日その宮司氏が、わざわざ特注の鎮め物を作って届けてくれました。大きな銅版で作られたひと形や剣などの7点セットです。冒頭の写真ですが銅版を加工したそれぞれ30センチの7品です。
そして桐の小箱に入ったその神社の正式な鎮め物も用意されていました。この心配りに感激したのは言うまでもありません。
 
 そんな訳で地鎮祭は我が家に一番近い神社にお願いすることになりました。ここは以前私の仕事関係でお付き合いのあった神社ですが、先代が亡くなり代替わりをしています。まんざら縁が無いわけではないのですが、新しい宮司とは面識がありません。
 ご縁といえばこの神社の氏子代表が私の友人で、快く紹介をしてくれるのですが彼が口を利くと玉串料が跳ね上がる恐れがあります。
 それは彼が地域の名士で資産家であり氏子の総代とあればそのその友人なら応分の負担となるのは間違いありません。年金で暮らす家のコンセプトから外れてしまいます。
 こんな話をするとどんなにケチな奴だと思われるかもしれませんが、心を鬼にして年金で暮らす哲学を実践しなければならないという誓いなのです。
 
 早速宮司に電話を入れてみました。2月19日土曜日の大安日をリクエストしたのですが、その日は午後から契約しているホテルの結婚式があるとのことで早い時間なら、ということで午前9時から地鎮祭を執り行うことになりました。

 当日は青空が広がる晴天に恵まれました。目の前の明石海峡もすばらしい空の下輝いています。
 8時に現地に向かうと正面から建築設計士の田原さんが歩いて来られ申し合わせたような説妙のタイミングでした。
 
 しばらくすると舞子六神社の神主さんが到着・・・さっそく設営に入りました。  大きな地鎮祭には何度か参加したことがありますが、それは巨大なテントの下で大勢のギャラリーに囲まれたものがほとんどでした。

 自分自身のものとしては、今回が2回目となります。地鎮祭をすべきかどうか少しばかり考えたのですが、冒頭で言ったとおりあくまで自身の心の問題とはいえ、神事ですからおろそかにすべきものではないと感じます。
 
 何よりこの日は珍しく家族全員が揃う日でもあり、昨晩から息子も立ち寄りそろって夕食を囲めたことも嬉しい時間でした。
 こういう神事などが大事なのは、法事と同じように神様や故人が俗人を集める機会を作ってくれるということで、まさに縁というコミュニケーションの大切さを神様が我々に教えているのだと感じます。
 
 おかげさまで滞りなく儀式は終わりました。
 何とかこの土地の神様にこの場をお借りするお許しが得られたのではないかと思っています。

 狭いながらも立派な地鎮祭になったと喜んでいます。朝はやくから用意してくださった皆さんに心から感謝しています。

これで本格的な工事へ準備が整ったことになります。