きらりきらりスリランカ

四度目の正直、本当のスリランカを見つけた!」


9月15日 9月15日月曜日 気持ちを取り直して・・・
観光地より結構町が楽しい!
誕生祝賀会、何と阪神タイガース優勝祝い!
9月16日 9月16日 キャンディ最後の夜
紅茶工場という観光地
9月17日 9月17日 南の町ゴールを目指して!
9月18日 9月18日 ゴールは素晴らしい町だ!

 

9月15日月曜日 気持ちを取り直して・・・

悪夢といえる昨夜のできごとは数多い海外旅行のなかで生涯忘れることはない記憶となったが、メンバーに大いに迷惑をかけている自分を素直に振りかえっている。スリランカ人のように私はやるだけのことはやったから責任などない、と言う気持ちにはなれない。
朝を迎えみんなの笑顔が変わらないことが嬉しかった。この日は出崎さんと森さん夫妻がスリランカでゴルフをしてみたいという希望をかなえる日である。
前日から及ばずながらゴルフ場の予約や車の手配をする予定でいたが、この先どうなるか全く予測がつかなかったために朝になってから準備に入った。なんとか手配をすませて彼らを見送った。

そして我々はキャンディの市内観光へでかけることにした。まず行ったのは初回も訪れたキャンディ植物園だ。熱心な物売りを縫うようにしてゲートをくぐると広大な施設が広がる。
入場料は外国人300ルピー現地の人は20ルピーと大きな差がある。これも中国での出来事だが四川省の山奥の有名なお寺の前で白人がわめいていた。
私と目があったら突然話しかけてきて「中国人が20元なのにどうして我々は100元も払わねばならないのだ。こんな中国はアンフェアだお前は納得できるのか?」というものだった。
今の中国はこの点はずいぶん改善されてきたがこの時の光景を思い出した。やっぱり外国人価格がここでもまかり通っている。


この公園には今上天皇が皇太子の時に植えた木ある。一昨年より大きくなった感じがしたがそんなに成長するわけもなく勘違いだったかもしれない。昨年ヌワラエリアに行ったとき市長と一緒に記念植樹をしたことを思い出した。あの木もきっと大きくなっているだろう。
この公園には面白い植物がたくさんある。もともと花の名前などを覚える気がない私でも珍しい植物には興味がある。
この植物園は国立公園なのに椰子の木に登るパフォーマンスおじさんが居たり、木陰から捕まえたコウモリを見せてチップを要求するアルバイト職員がいて実に面白い。国が営業を認めているわけでもないだろうが一日いると結構な稼ぎになるのだろう。

観光地より結構町が楽しい!

植物園を出たあとはスリランカと言えば宝石といわれる通り定番のコース宝石店に直行した。デオを見せられ誘惑の世界に入っていく。
スリランカはダイヤモンド以外の宝石がでるそうだ。3度目のスリランカでもありこの手の店によく行くがいかんせん値打ちがわからない。
私自身今までそれなりに失敗を重ねているので分からないものは素直にギブアップして興味のある人の邪魔をしない事にしている。


遅めの昼食はホテルに戻ってとることになった。その後またキャンディの町に出かけメンバーのリクエストに応じて仏歯寺組と市場散策組と二つに分かれることにした。夜は古都キャンディに伝わるキャンディアンダンスショーを楽しむことになっている。

私はお釈迦様の歯に2回も巡り会っているので町に出かけることにした。人混みの中でグループ行動をすると結構目に付くようだ。
我々の会話にスパイスと言う言葉を聞いていつの間にか知らないスリランカ人がスパイスはこっちだと勝手に案内を始めた。迷惑なので方向を変えるとまたついてくる。こうしてつきまとってどの位の稼ぎになるのか興味があるが、これを聞いたら「はい、チップ!」となるからうかつに聞けない。
チップが惜しいのではないがこんな迷惑な連中がこれからの旅行者が増えるスリランカにどんな影響を与えるのだろうか。一時のマニラのように空港の職員から警察まで町中が金で動く環境になり結果的に観光客が恐怖感を抱くようになった。キャンディは正常な都市であって欲しい気がする。


私は海外でも早起きである。初めての町はたいてい朝市にでかける。恥ずかしながら私の行くとところは世界を代表するリゾート地は少ない貧乏旅行だ。台湾の各町、マニラ、バンコク、シンガポール、サイパン、上海、広東・・等々そしてスリランカも例外ではない。ニューヨークもロンドンもハワイも知らないわけではないが、朝の面白さはその国の活力と比例している。
キャンディの朝市は経験できなかった旅をすると汚いところは嫌いだと逃げ回る人がいる。私だって汚いところが好きなわけがないが汚いところを隠して綺麗な部分だけを見せる旅など価値はない。汚いところがあってその反動として美しい何かが浮かび上がることもある。
町は人が作る集合体である。人の集まるところに小さいながら社会ができるからその土地の人と触れあうことが旅の原点にある。
ャンディでも町の人たちが立ち寄る市場は外国人に法外な値段を吹っかけることはない。思いがけない買い物ができるのも町のみんなと同じ目線で過ごす時間を共有するからできることだ。


面白い買い物時間はあっという間に過ぎてしまった。急いでバスに戻ることにした。これからお馴染みのキャンディアンダンスのショーが始まる。
古都キャンディの自慢の郷土芸能であるこの舞台は特にヨーロッパ人のツアーが多い。
キャンディに毎年くる日本人もそう多くは居ないと思うが、このショーを毎回見たいという旅行者は少ないと思う。
日本の古都京都のみやこ踊りだからといって4回も続けて見せたらいかに外国人でもちょっと別の所に連れていってと言うに違いない。
私も同様で火渡りショーなど不完全燃焼の軽油の臭いにすっかり参ってしまった。
来年のことを考えるとリピーターと初回組との調整が一番難しい課題であることを思い直した。それに無線班との調和だ。



    誕生祝賀会、何と阪神タイガース優勝祝い!


昨晩の事件のせいでバラバラの食事となって出来なかった誕生祝いの晩餐会が始まった。32人のメンバーのなかで9月生まれが何と8人もいる。これは異常な数値ではないか・・昨年は山奥のカルチャーラブホテルでまとめて執り行ったがこれも9月だったのでいつも9月生まればかりが祝福される。ちょっと不公平かも知れない。
9月15日の無線交信で18年ぶりに阪神タイガースがセリーグ優勝を決めたニュースに接した。
この史上最低のトパーズホテルのマークを見たら驚くだろが何と阪神タイガースのHとTを組み合わせたお馴染みのマークとまったく同じだ。

どちらが本家か知らないがトパーズ、ホテルはTとHだから同じマークになってしまうのだろうが、今年の阪神のはつらつさと比べるとこのホテルのマークは実に不写りだ。考えてみると18年間我が阪神タイガースはちょうどこのホテルのように低迷していたのだ。阪神は見事に蘇ったがこんな人間が運営する限りトパーズホテルには恐らく永遠に喜びなどこないだろう。

この9月誕生日を迎えたのは宮本文恵さん、長谷川敏子さん、出崎和子さん、森栄子さん、海老原和夫さん、池田昌彦さん、中浴嗣也さん、そして宮川久仁雄さんの8人である。それに熱烈タイガースファンが加わると一挙に百人パワーの誕生会となった。
その頃道頓堀にたくさんのファンが飛び込んだようだがインド洋の国スリランカで阪神タイガースの優勝を祝う盛大な夜があったことは恐らく誰も知らないだろう。
無線班もご機嫌で忌まわしいトパーズホテルの2泊目は意外と何事もなく過ぎていった。

9月16日月曜日 キャンディ最後の夜

昨日が敬老の日であったことはメンバーの意識に無いようだ。もちろんコナ爺という愛称の電波教室で子ども達から人気の小永井さんがいるがまだ敬老とまでもいかない。
この連休があることから今回の日程を決めたが9月で固定すると永遠に参加できない人も出てくる。またこれを避けても同じことが起こる。
きょうはセイロン紅茶の産地ヌワラエリアの紅茶工場を見学する。朝食のあと無線班の一部をホテルに残してバスは出発した。


スリランカはフルーツの宝庫でもある。実に色とりどりの果物が実る。スリランカには12種類のバナナがある。私はそのうちの半分くらいは食しているが美味しくて人気があるのが赤い房のバナナだ。しかしスリランカで一番高価バナナは赤くも小さくもない。写真に取り損ねたのが心残りだが、たった一本で100ルピーもするそうで恐ろしく高価なバナナだ。日本で見るエクアドル産のモノより数段大きい。味は確かに美味い。

そのフルーツ論に花を咲かせたのがドリアンの話題だ。臭くて食べられないとか、そうでないとかの話題がしょっちゅう登場する。
7月は同行の田中さんが一度ドリアンを食べたいというので車を止めて試食することにした。彼の嬉しそうな写真が残っているが、メンバーの多くが非常に興味を抱いているようだった。

そこで適当なところでバスを止めて貰うことにした。何しろ交通事情が厳しい路上であるので出来るだけ安全な場所でないといけない。幸い意外に早く適当な店が見つかった。
日本で買えば高価であるがここでは一つ150ルピー程度だ。これは旅行代金外のサービスだが折角の機会なので存分に味わってもらうことにした。

食べものは人それぞれの好みがあるのは当然であるがドリアンほど食べたことがないのに噂だけを信じ、あれこれ講釈する人が多いのが面白い。熟したものは本当に美味いし、気にいれば褒めて美味くなければ黙ればいいがどちらにしてもこの話に花が咲く。
ドリアンはメンバーのほとんどが美味いと評価した。あのイガイガにつつまれた果肉からはとろけるような柔らかさと味わいは想像できない。
もう一つの名物果物にジャックフルーツというものがある。キャンディの植物園で実際に木からぶら下がっている所を写真に撮りみんな満足げだったがこの果物にもメンバーは実に興味を抱いたようだ。スリランカの果物の多くは若いうちは野菜でありカレーの材料になる。バナナしかりジャックフルーツしかりだ。

紅茶工場という観光地

紅茶工場はGLENLOCHというイギリス時代の工場で独自のブランドを持っていながら見学を認めている数少ない工場だ。紅茶を語るときりがないがイギリスには美味いモノがないと言うが紅茶ほどイギリス人が工夫を凝らしてこだわったものはないだろう。
基本的に軟水のスリランカの水で育った紅茶を硬水のイギリスで味わい深いものにした技術はすばらしいと思う。
そのイギリス紅茶を日本に輸入して美味いという日本人もこれまたすごいと思う。これは少し嫌みをこめているが私は毎朝カップ2−3杯の紅茶をストレートで飲んで出勤する。
スリランカの100%セイロン紅茶はやはり水にこだわるべきだ。決して水道水で飲んでは台無しになる。これは日本全国共通で水道の水でお茶を入れるほど悲しいことはない。緑茶しかりだ。これには科学的な分析がなされているが理論より実際に同じ紅茶を水道水と自然水とで飲み比べてみると判る。どんな味覚音痴でもこれほど間違いなくおいしさの違いを感じるものはない。私はセイロン紅茶が大好きだ。

このLENLOCHで売られているのは普通の紅茶以外に幻の紅茶シルバーチップなどもある。ガイドブックなどではシルバーチップクラスはイギリスに送られスリランカにはないというのが定説のようだが必ずしもそうではない。
この紅茶は意外と日本人には人気がないのではないかと思う。

紅茶を知らない人に飲ませると色が無いのでその価値を認めずティーバッグの紅茶を喜ぶと思う。実際は色がないのに香りがあって味わい深いのがこの紅茶の特徴である。

この工場の売店は我々で一杯になった。メンバーは抱えきれないくらい紅茶を買い込んでいるがヨーロッパの客は1パックだけ買う人が多く日本人が異常なのか定かではないが我々の売り上げでこの日は十分に採算がとれたはずだ。
私はこういうスタイルの買い物をする日本人に嫌悪感を抱くことが多いが、紅茶に限れば私自身人のことをいう資格がないほど買い込んでしまう。
紅茶が軽いお土産というのは嘘である。紅茶は意外と重い。その証拠にあの青々と繁った茶の葉が乾燥すると十分の一程度になる。正に凝縮された茶葉は乾燥しても意外と重いわけだ。
去年は紅茶工場の売店の紅茶が無くなり空港で買い込んだメンバーが居て今年はそんなことがないようにお願いしておいた。工場の設備は昨年の方が上だが売店は今年に軍配があがったようだ。

ヌワラエリアの茶畑を通り昼食に向かった。このレストランは昨年ヌワラエリアに行く前に立ち寄った所である。大きな滝があり遠くにさらに大きい滝を望む綺麗な場所。自然の中で気の合う仲間ととる昼食はなかなかのものだ。然ビールの消費量が増える・・ 誰とは言わないがメンバーの中に酒豪が多い。
最初の年、無線チームのドリンク代くらい大したことはないとタカをくくっていたがいざ支払うとなると8万円近い金額になった。これはボーナス見たいなものでみみっちい集金などしないでおいたが今回は32人、この教訓を生かし飲み代を徴収することにした。
酒飲み5000円、ちょい飲み3000円何も飲まなければ0円だがすべて自己申告である。少し残さねばならなかったがこの軍資金はすべて胃袋に消えてしまった。

正確に飲んだ量がわかればきちんと請求してやるが、色にもでず酔いもせず人の数倍飲んだやつがいるのは事実だ。飲兵衛の隠れキリシタン対策は次回の課題だ。


今夜はキャンディ最後の夜だ、夕食はいつも使う3階のレストランから野外の広場になった。キャンディの夜はとても涼しい。心地よい風は旅人を癒す自然からの最高の贈り物だ。二日前のトラブルを招いた二重契約ホテルとは思えない快適な夜であった。
生演奏の歌声と地球に接近した巨大な火星、そして満天の星、今確かにスリランカにいるそんな実感がした。
無線室は賑やか
入れ替わり立ち替わりオペレーターがやってくる。別に当番を決めているわけではないが私の手を通して4S7(スリランカ)で免許を受けた者は26名となった。来年は更に増えるだろう。さあ、キャンディでの無線運用の制限時間は明日の午前6時だ。



9月17日水曜日 南の町ゴールを目指して!


目が覚めたのは5時過ぎだっただろうか。アンテナの撤収は真っ先やろうと思いゲストハウスに向う。海老原さんも早い。そのうちチームメンバーが集まりだした。無線班得意の名実ともに朝飯前の撤収作業は実に素晴らしいコンビネーションで完了した。

いよいよスリランカ最後の町ゴールを目指す。GALLE(ゴール)という町はポルトガル、オランダ、イギリスとめまぐるしくヨーロッパに支配された町である。スリランカで3番目の大きな町でもあり私にとって初めての場所で楽しみにしていた。
古都キャンディを出てコロンボの渋滞をさけながら海沿いを走る。途中恒例の果物屋に立ち寄りバナナをたっぷりと仕入れる。そこで先日買い込んだままバスの後部座席に鎮座していたジャックフルーツにナイフを入れてメンバーに味わってもらうことにした。

みんなはあのお化けのような木の実から何が出るのか興味津々で、食べてみてまた美味しいという感想が圧倒的であった。
熟すと歯触りの良い食感で甘く独特の風味がある。種は結構大きく植えるとすぐに色濃い緑の葉をつけた芽を出し大きくなるが日本の冬を越すことは出来ない。
この木が日本で育つならジャックフルーツは緑化の意味合いや食用として重宝されると思う。熟していないものはカレーの材料に、種も食用となりスリランカを代表するイメージフルーツだと思う。

果物のあとは象の孤児院に向かった。スリランカの象はその昔1万頭をはるかに越えていたが今は3千頭に満たないそうだ。1日に200sの食料が必要な像は資源を考えても人との共存には工夫が必要だ。この象達は親からはぐれたり傷ついて人間の世話になると野生には戻れないそうだ。
その象を集めて飼育しているのが象の孤児院である。現在60数頭が収容されているが水浴のために午前と午後象使いの先導で歩いて川に移動する。この壮観な水浴びが観光客の人気スポットとなっている。


大人でも象に手が届く距離に居ると不思議な世界に飛び込んだようだ。子どもたちならどんな反応を示すか興味があった。この象の水浴びを見ながら人間は昼食をとるのである。この昼食が済めばノンストップの海岸線のバス移動が始まる。

出来るだけ早くゴールの町に着きたいが、生理現象には勝てない途中のレストランでトイレを借りることにした。営業中のレストランに突然乱入するわけだからそれなりに気を使う。しかしこれも道中の人と触れ合う機会でありそれなりに楽しい時間である。時刻は2時を過ぎていた。果たして夕暮れまでにゴールに着くだろうか?

キャンディ、トパーズホテルの悪夢が頭をよぎるがあれ以上の処遇は考えられないはずだと言い聞かせながらバスの揺れにいつしか眠りについていた。
誰かの海が見える・・と言った声で目がさめた。椰子の木々のあいだから白波が見える。スリランカの海岸線はこの時期波が高い。風は海から陸に吹き同時に大きなうねりを呼ぶ。日本では見られなくなった砂浜が続く黄金海岸は魅力的でもある。
スリランカの海が静かな時期は12月だ。このときは陸から海に向かって風が吹く。こんな小さな島だが何千年も規則的な営みを続けていることになる。
やがて町に人が多くなってきた。ゴールに入ったとの事である。目指す町がゴールという駄洒落的な町の名前も印象的だがこの町は美しい。

バスがライトハウスホテルの玄関に着いた。石作りの玄関だけをみれば殺風景な感じを受ける。しかし一歩足を進めて驚いた。奇想天外な青銅器のモニュメントがらせん階段を囲んで居る。その階段を上がると広いロビーの向こうにテラスがあり勇壮なインド洋が広がる。この景色にバスの疲れが吹き飛んだようであちこちで歓声があがった。

部屋が割り当てられるまでの時間もホテル従業員のサービスも良く昨日までのホテルとは違う、別天地にきたような感じを受けた。
ゴールには一流ホテルがないという話であったがリゾート地の条件を兼ね備えたこのホテルは次回も是非泊まりたいという声が多くのメンバーから聞かれた。
私の部屋は308号室だがルームキーには部屋番号がない。何でもこのホテルに3つしかないVIPルームで最大の部屋だそうだ。
別に無理を言ったわけではないがチームリーダーと言うことであてがわれたようだ。この広さと優雅さは実に快適である。あのスピルバーグさんが泊まった部屋とのことで想像して頂きたい。


ライトハウスホテルからインド洋に沈む夕焼けは息が止まるくらい美しい。椰子の木の間に真っ赤に燃える夕日は言葉に言い表すことは難しいくらいだ。
もう一つ褒めておきたいことはこのホテルの食事が美味しい。旅慣れた人は恐らく同じ印象を持つと思う。
大満足のゴールの夜は更けていったが、気になる無線班はリゾート地のホテルに悪戦苦闘である。それはアンテナを建てる場所やケーブルの引き込みに大きな制約を受けているとのことであった。ホテルは無線などする設計ではないからだ。
私はこんな事にめげるチームで無いことを知っているのであえて口も出さずお任せすることにした。
大きな声では言えないがこの環境で無線などするのは愚の骨頂である・・こっそり言える言葉であるがもっとスリランカを楽しめばいい。
とは言っても無線チームは建物にも傷つけず見事にアンテナを設営していた。面前には大きなプールが二つとプライベートビーチの砂浜が広がっている誘惑の部屋での運用である。

9月18日木曜日 ゴールは素晴らしい町だ!

この旅の計画をしていたとき家内がスリランカの最南端に行ってみない?と提案した。ガイドブックによると大したところではなさそうだがスリランカでは神聖な場所のようだ。何でも大型バスなどは近寄れず歩いていくしかないらしい。みんなが気に入るか心配であったが私の好奇心もあり行程に加えることにした。

いよいよその当日になった。まず向かったのはゴールのムール要塞だ。スリランカ軍の駐屯地の玄関を通って海を望む煉瓦作りの要塞を歩く。透き通るような青空と爽やかではあるがかなり強い日差しである。制限時間は1時間ほどしかない。とにかく時計台まで歩くことにした。

途中軍の施設付近では放牧された乳牛の乳絞りを見た。バケツに勢い良く音を立てて飛び出す乳搾りは久しぶりに見る光景である。40年以上も前の子どもの頃恐る恐る牛の乳に触れたことを思い出す。牛は下手な人間が手をくだすとご機嫌斜めになると聞いたがバケツに溜まっていく牛乳に懐かしさを覚えた。日本ではもう見られない光景だろう。

遙か昔、競うように航海を続けヨーロッパ人が次々とアジアを我が物顔で支配した時代、もし日本が今の位置ではなくもっと西よりにあったらどんな姿になっていたのだろうか。歴史にもしもはないといわれるが地球が丸いことを理屈抜きでわからせるインド洋のパノラマを見て遙か14世紀に思いを馳せる機会も悪いものではない。ムール要塞はこうしたロマンを感じさせる。
少し昔スリランカに観光客が比較的多かった時代もあったようだが、こののどかではあるが、軍の要所でもあるゴールはのんびりした暖かさと緊張感が同居しているような古き良き町だ。気に入ってしまった。

きままに歩いた後はバスを降りた元の場所のレストランに戻ったが昼食には早いのでスリランカ最南端のダウデウンダラ岬に行くことにした。
岬から帰ってこのレストランで昼食を囲んだが、ここは海を望む吹きさらしのテラスだ。スリランカ特有の小型のカラスが電線に留まっている。そのバックには実に美しいブルーの空が広がっている。

このレストランの昼食は実にタイミングが悪い。食べ物の不満はこの旅では御法度にしたいが味はともかくスープは全員に届かないしデザートも言わなければでてこない。
ボーイ達に客の数と食器の数を確認する習慣がないからだ。言われた事だけをすればよくそれ以上働けば同僚に迷惑をかけるスリランカ流がここにもあるようだ。リーダーの宮本さんがいつも「これではスリランカは発展しない!」と感想を漏らしていたが、もちろん発展しないしそれよりも別に発展など望まないのだから余計な心配かもしれない。


スリランカを旅して今回ほど私、いや日本人の方が本当は「オカシイ」のではないかと考えさせられたことはない。一番のインパクトは何と言ってもトパーズホテルのマネージャーの言い分が極めつけだった。今は日本の社会の常識など仕舞い込まなければスリランカとは付き合いが出来ないような思いである。
日本に16年いて日本を一番知っていると信じていたスリランカ人のNさんの思考回路も実際は彼らと全く同じであったことを再認識すると、そう簡単に人は刻み込まれた常識を変えること難しいのだろう。日本人の常識を彼らに強要してはいけないのではないかと真剣に考えた。
飛躍すれば国際結婚だって恐らくこれと同じような体験をして、あきらめが先に立ち挫折の原因になるだろうと思う。愛情だけで乗り切れる問題ではなく根比べかもしれない。国際結婚ではない私さえ毎日根比べしながら生活しているのだから・・・。
とは言うもののスリランカが我々の思考と同じになってしまったらそれこそ面白くなくなるのではないか・・。

最近郵便局が公社に組織換えして値下げやサービス向上に必死である。近所の特定局の無愛想な局長さえも最近引きつるような笑顔を見せるようになった。ゆうパック一つでも引き取りに来てくれる。まるで別人の様な変貌のしかたである。
いままでは郵便局に行くたびに局員の態度が気になることが多かったが、怠慢な郵便局のお陰でクロネコ便に代表される宅配便が大きく進歩したのは事実だ。
信書の壁を根拠にずいぶん長い間宅配業者がメール便を使える機会を阻止してきたのが郵便局だったが結局は利用者の選択肢に従わざるをえなくなったのは承知の通りだ。

その郵便局が今心をいれかえて同じサービスを始めようとしている。私は郵便局が急に宗旨替えをしたように心を入れ変えることに冷ややかだ。
誰かが怠けるとその隙に乗じて誰かが工夫をこらす。文化はそのようにして盛衰を繰り返してきたように宅配便を発展させた功労者は郵便局以外にない。だから郵便局がそれを追従するだけでは決して一番になることはありえないからだ。


余談が増えるが仕事のなかでも同じ経験をすることが多い。あいつとは仕事はしたくないと不満を言う若者がいると、話を聞いてやる事にする。大抵は自分より劣っていることに対し蕩々と相手をけなすが私は最後に「**さんはバカだと思うか?」という質問をする。口ごもりながらたいていは「・・・そう思う」と答える。そこで「もし**さんが君より賢しこければどうなる?」と聞いてみる。
そして「**さんみたいな馬鹿な人が居るから君でも賢くみえるかもしれないよ!だから君が今あるのは**さんのお陰だから感謝しないといけないよ!」という。
こういうとおまえさんがそんなに達観していいるなら何故トパーズホテルで怒るのかと言われるかも知れないが、あれは商行為の契約違反だからである。32人を守る必要からだ。

スリランカを我々が変えるなどとおこがましい事を考えるつもりはないが、かといって変わらなければ発展しないと怒る必要もない。変わるか変わらないかはスリランカの人達が考えるべき問題である。人は取り残されても挫折しても自分で考えない限り変わらない。人も会社も国家も同様に違いない。

ゴールに来て良かったと思う。今までなぜ南の町を訪ねなかったのか・・それはスリランカの世界文化遺産や遺跡が圧倒的に中部から北部にかけて多くあるからだ。
我々のメンバーのなかに旅慣れた者も多いが初めてのスリランに相当心が傾いた人も多い。もっと発展した国かと思ったが意外であったと印象を語る人でさえ是非次も挑戦したいと言う。それほど感動を受けたと言うことだろう。
我々の多くが3回もスリランカに来ているがまだ判らないことが多い。この先旅を重ねても益々この好奇心を増大させるのかも知れない。

キャンディの事件でスリランカを放棄しようと思ったこともあったが、ゴールはまだまだスリランカについて知りたいという思いを抱かせてくれた。キャンディは恋人との一時的な口喧嘩だったのかも知れない。
キャンディの仇を見事ゴールが討ったことになる。

 
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