ずっとずっとスリランカ

「四度目の正直、本当のスリランカを見つけた!」

9月12日 9月12日金曜日、32人が出発した!
総重量700Kgを遥かに越える大量の荷物!
スリランカはやっぱり遠い!
おなじみのコロンボ空港にて
安らぎの部屋
9月13日 9月13日シーギリアが待っている
アチーニちゃんと再会した!
ポロンナルワは遺跡の町
9月14日 9月14日無線とシーギリア
アイコムとスリランカ
シーギリアに登る
ダンブッラ洞窟
さよならシーギリアビレッジ!
9月12日金曜日、32人が出発した!

半端でない超大型台風14号が北上!のニュースが気になる。割引航空券を使うので天候異常などで遅れが生じた場合は乗り換え交渉は航空会社との直接折衝となり面倒である。
ニュースでは前日から沖縄便の数便は欠航との情報がありやきもきしたが台風は朝鮮半島に向かっている。

朝予定より早く5時ごろ目が覚めてしまった。もともと朝寝坊ではないが事前に時間厳守をメンバーにくどいほどお願いしているので私が遅れるわけにいかない。今回初参加の旧友三浦さんを明石まで迎えに行くことになっているのでそれも気になっていたのかもしれない。

空港までは小さな省エネカーが足代わりで4人乗れば大きなスーツケース三つとお土産の大きなバッグが問題となってくる。これを室内に収めると誰かが降りなければならない。そこでスーツケースをルーフキャリアにくくりつけて明石に向かいそれから阪神高速に乗ることにした。ドライバーは息子に任せたが関空に走るのは初めての経験だそうだ。
明石から三浦さんを拾って高速道に入ろうとしたところで雨あしが激しくなった。屋根にはスーツケースが三つ・・防水型のスーツケースではないので慌てて車を止めて手もとのシートでくるむことにした。雨の中ロープをほどきシートをかけ縛りなおしたがスーツケースを完全にくるむにはシートは小さすぎた。このお陰で私の着替え用の下着類は水を含みコロンボの夜はパンツとシャツの美しくない花が部屋中に咲いた。

総重量700kgを遥かに越える大量の荷物!

集合時間は9時半!遅れる場合は電話をすることをお願いしておいた。几帳面な人は今の場所と到着時間を私の携帯電話に入れてくれる・・ありがたい。
この旅の目的はアマチュア無線を楽しむことである。そのため多くの機材を持ち込まなければならない。
荷物一つで参加する人は良いが無線機材は中途半端な量ではない。今回は特にキロワット級のリニアアンプ2台と無線機4台それに複数のビームアンテナ類で構成されている。

さすがメンバーは良識ある社会人だ。一人の遅刻もなく関空Hカウンター、タイ航空の受付前に集合した。
各班のチームリーダーは無線班の田中さん、観光組の宮本さん、そして同じく安孫子さんが32名を三分割したチームのリーダーとなった。

32名となると荷物も相当になる。カウンター前に並んだ荷物は45個一列に並べると後ろの通路が通れなくなるほどである。これを空に持ち上げる飛行機はすごいとため息が出るほどである・・。

我々のチケットは個人購入であるが、32人となると団体で手続きをする方が得策である。理由は一つ30s近い無線機も含まれるからもし個人ならオーバーウエイトで超過料金を請求されるからだ。その為に荷物の分散が必要となる。
搭乗手続きを各リーダーにお願いし無事にゲートに向かったが、宮本さんから100sの重量オーバーを告げられたがまけてもらったと聞いて胸をなでおろした。よしこの次もタイ航空を使ってやるぞ!
 
スリランカはやっぱり遠い!

関空からスリランカには直行便がない。ダイレクト便は成田からスリランカ航空を利用するしかない。
過去2年間この便を使ったが昨年、大阪・成田便のブッキングミスがあり危うくこの便に乗れない事態に遭遇し、やはり関西人は関空から飛ぶのがベターとの結論に達した。

タイ航空のバンコク便は機材が古い、恐らくどこかの航空会社の払い下げだと思うがまあ無事に飛んでくれればそれ以上の注文はない。
タイ航空を敬遠したい理由を挙げるとしたらバンコクで6時間の乗り継ぎ時間が生じることだ。6時間もあればもう一度日本に戻ってくつろげるくらいだ。しかし帰りはこの心配がないので結局成田に向かうより関空が得策となる。

7月の旅は男二人で口数も少なく6時間のバンコクは飲んでも飲んでも時間が経たなくて困ったが幸いなことに32人も居ればわいわい言っている間に時間は経過する。
これ幸いと来年のJARL総会の準備や諸々の話など結構会議の時間がもてたのは幸いだった。しかし広いとは言え完全に隔離された建物である。ウロウロしても6時間は長すぎる。天気の良い日はバンコクの夕焼けも綺麗だがこの日はお天気もご機嫌ななめであった。

雨模様の中やがて夕暮れが訪れたがまだこの先インド洋に向かうのかと思うとスリランカまでの道中の長さをいやでも感じさせてくれる。
思い思いの時間を過ごしやっとの思いでTG307便コロンボ行きに乗り換えた。時刻はすでに現地時間夜9時を迎えようとしている。日本との時差はマイナス2時間。日本ではそろそろ眠りにつく11時である。コロンボ便の機材はバンコク便よりましなA300だ。

最初にスリランカを訪ねた2001年はまだ渡航制限を受けていた時期でもあり飛行機はがら空きの状態であった。4人シートに横になったままコロンボまで行けた。ところがこのところのスリランカ便はそんなゆったりすることは夢物語だ。驚くほど満席で航空会社はえびす顔だろう。
タイ航空のサービスは和菓子付きで比較的良い。他社と比べればきりがないが私が感じたタイ航空の印象は悪くない。
機内のナビにスリランカの地図が大きく出るようになった。コロンボが近いことが判る。待ちこがれた着陸態勢に入った。到着予定時刻は23:59でかろうじて12日中にコロンボに着く予定であったが、出発が遅れたこともありコロンボ空港の滑走路に脚が着いたのは13日を10分程度過ぎていた。


おなじみのコロンボ空港にて

さあ、問題は通関だ・・一昨年ここで大きなアンテナを見た係官からこれは何だ?から始まって1時間足止めを受けたことがある。今年は事前にテレコムにもお願いをしておいたがやはりこれは何だ?に引っかかってしまった。
いつもこのときカートを押しているのが田中さんだ。ひょっとしたら荷物のせいではなくこの人の顔が怪しいと思われているのかも知れない。来年は工夫してみよう。隠すわけに行かないので正直に説明を加え何とかゲートをくぐることが出来た。

私の一番の気がかりは迎えのことである。7月のことが思い出される。それよりメンバーは軍資金の調達のために両替に懸命だ。1万円を現地ルピーに替えると約7980ルピーとなる。1ルピーは1.3円程度だろうか。こんな夜中に両替しなくても・・もう夜中の1時だ!

アンドリュース旅行社のガイドは2年前のARIさんでメンバーとも馴染みだ。私は54日ぶりとなる。到着出口付近で我々を待ち受けていた。
深夜の空港はポーターも少なく荷物は各自で駐車場のバス前まで運ぶ。大型バスとはいえ45個の荷物の積み込みはボディ下のトランクルームには入りきれず非常扉を開けて後部座席にも積み込まなければならない。これには相当な時間がかかってしまった。

バスはヒルトンコロンボホテルに向かった。深夜に着いて朝までの短い時間に一流ホテルを使うことに異論もあったがスリランカが初めてのメンバーには短い時間ながら快適に過ごして欲しいと願ったこともここを選んだ理由だ。

安らぎの部屋

家を出てから21時間目だ。搭乗してから17時間近く、やっ安らぎの部屋に着いた。荷物が部屋に届いて驚いた。スーツケースの中の着替えが関空までの雨にたたられ水浸しになっていた。部屋中私のシャツとパンツの花が咲いた。しかも生乾き独特の香りを部屋中に残して・・。起床までの5時間たらずで乾くだろうか・・。
13日はシーギリアへ移動する日だ。その前に朝6時に4S7TZ、トレボアさんがホテルに来ることになっている。あまり眠れないぞ・・。


9月13日土曜日 シーギリアが待っている!

予定は8時に朝食をとり9時にシーギリアに向けて出発することになっている。行程は約6時間のバス旅行だ。
眠いながらも6時前に起きだした。ロビーに向かうと7月に出会ったトレボアさんの姿があった。田中さんは彼から電話を受けすぐに下りてきた。興味のあるメンバーが集まってロビーで束の間の親睦ミーティングが始まった。
彼から頼まれた自動車のパーツや土産物を渡し話が弾んだが我々の朝食時間もありまた彼の出勤時間も近づき再会を約束して駐車場まで見送った。

パーキングには日本大使が来ているとのことでベンツが2台と警察車両が停めてあった。その側に日本ではもう見かけない20年前のスターレットがあった。
これが彼の愛車
だそうだが車は大事に乗ればいくらでも走るものだ。そんな印象を強くした。しかし今後は彼のパーツ運びは避けられないなあとポンコツ車を見ながらお互い顔をみあわせ笑ってしまった。


朝食を済ませまだ生乾きのパンツをスーツケースに戻した。乾かなかったのが心残りだ。これからの行程は世界文化遺産の町ポロンナルワを見学してシーギリアのホテルを目指すことになる。途中トイレ休憩とティータイムをとったためダンブッラの町での昼食は2時頃になってしまった。

アチーニちゃんと再会した!

昨年この町に立ち寄ったとき女性陣がサリーの生地を物色していた。私の趣味でもないので近くの果物屋であれこれ珍しいフルーツの山を眺めていたら小さな子どもが近寄ってきた。かわいい男の子だなと思いながらデジカメのシャッターを押した。
いぶかしそうに私を見つめていた目が輝いていたのが印象的で写したばかりの写真をモニター画面で見せたらその輝く目が一層らんらんとした。
その笑顔が気になったのと日本人が写真を撮り送る約束をしてもそのままのことが多いと聞いていたのでこの子にはきちんと送ってやろうと名前と住所を聞いてもらった。

帰国後写真をプリントしてみたら耳にピアスをしている。そうか女の子だったのだ。その時はもちろん裸足で衣服も決して綺麗ではなかったのでてっきり男の子だと思っていた
ちょっとした文房具と写真を添えて手紙を出したところアチーニちゃんというその子から英文の手紙が届いた。シンハラ語しか話せない彼女の代わりに担任の先生が代筆した手紙で感謝の気持ちと英語を勉強しますと書かれていた。

そのアチーニちゃんを訪ねることにしたのである。みんなが食事をしているレストランからすぐ近くであり7月に来たときにあらかじめ調べてもらっていた。
1年前なのだが果物屋はずいぶん変わっていたので彼女の家を探すのに手間取った。路地を入ったところに煉瓦作りの小さな家があった。

私が来たのを聞いたのだろう走りながら家から飛び出してきた。恐らく我々の来訪を心待ちにしていたようだ。去年の服装とは見違えるくらいおしゃれをしている。お祭りのときに一番良い服を着せてもらったのと同じようにきっと準備していたのだろう。
1年経ってお姉ちゃんとともに随分大きくなった印象を受けた。笑顔で迎えてくれた母親のおなかを見るとおめでたも近そうで、アチーニちゃんもまもなくお姉ちゃんになるようだ。


短い時間だったが彼女たちのスリランカ流の地面に膝をついて感謝の気持ちを伝える挨拶に戸惑ったが、はにかみながら手紙を書きますというかわいい約束をもらって、待たせておいたバジャージに再び乗り込みメンバーの待つレストランにもどった。会えてよかった。さあポロンナルワに急がねばならない。

ポロンナルワは遺跡の町

ポロンナルワは2回目になる。仏教遺跡の宝庫といえるこの地をゆっくりまわれば恐らく一日かかっても時間が足りない。そのポロンナルワを駆け足でまわるのだから歴史や遺跡が好きなメンバーは物足りないと思ったに違いない。32人ともなると全員の希望を満たすことが難しくなる。

宿泊先のシーギリアビレッジに着いたのはすでに夜の8時になっていた。無線チームは暗闇の中でもアンテナ設営を始める。このホテルはコテージ風でシーギリアを望むジャングルのなかに位置しバンガロータイプの平屋造りで自然があふれている。

夜道に日は暮れぬというがキーを受け取ったものの自分の部屋を探すのも一苦労である。廊下代わりの夜道を木々の間をくぐりながら自分の部屋にたどり着く経験は普通のホテルでは味わえないスリランカならではの貴重な経験だろう。本格的なスリランカの旅は実質上このシーギリアから始まった。

9月14日日曜日 無線とシーギリア

日本は敬老の日を控え連休の日曜日だ。我々がこの日程を選んだのもこの連休を活用できることもありサラリーマンメンバーに人気が高いからである。
今回免許の関係で無線チームに入らなかった岩崎さん山田さん長谷さんからリクエストがあったのがバードウオッチングだった。ここは野鳥の宝庫でもあり事実鳥の鳴き声が多い。希望者は6時にホテルのフロント前に集合とのことで薄明かりを頼りに約束の場所に行ったところ、さすがマニアの集団、望遠レンズ装備で三脚にセットしたカメラが待ち受けていた。
これは本格的だ。あたりはまだ暗いが鳥の声はこの時間でもすごい。スリランカの野鳥は日本より早起きなのかも知れない。

素人の私が鳥の鳴き声を便りにあちこち歩いたがその正体は不明のままだった。プロが言うことには良く鳴く鳥に美しいのがいないそうで、ふとある顔が浮かんだが人間にも通じるとうかつに言えばきっと叱られるだろう。
 
頭上ばかり見上げていた割に鳥の姿と無縁だったので疲れて地上に目をやるとロビー前の池に鴨やアヒルなどの水鳥が泳いでいた。
私のバードウオッチングはこの程度が一番いいと思わず笑ってしまった。後で聞いたところによるとプロの彼らは珍しい写真をゲットしたとのことでさすがである。

そのうちメンバーが続々起き出してきた。この日の約束は全員無線機メーカーアイコムが提供してくれたTシャツと帽子の出で立ちで集合写真を撮ることである。
 
アイコムとスリランカ

アイコムは我々の旅の最初から協力頂いている強力な助っ人である。最初のペディションを実施した一昨年みんなのカンパでトランシーバを一台購入しスリランカに持参することにした。
しかし支払う時点になってアイコムさんからその機器を提供してくれることになった。この無線機は今も大きな戦力となっている。

我々の方針はメーカーにねだる行為は御法度としている。長くアマチュア無線をやっていると双方の思惑が一致するためかメーカーがバックについてイベントが行われることが当たり前の感情になることがある。
もちろん我々も資金をもてあましているわけはなく協力はありがたいが真の友好親善なら自分たちの力で機器を調達して目的を達成したいものだ。

今回はアイコムの名機リニアアンプIC−PW1とIC−7400を購入して持参した。もちろん通常より安くしてもらったのは事実である。それに銀色に輝くTシャツと帽子をRSSLメンバーに贈る分を含め提供してくれた。
そうなると当然このユニフォームを着てスリランカを歩くのも最低限のつとめだろう。
32人の広告塔はそれなりに効果もあるし現地でも珍しいようで我々の集合写真を熱心にカメラに収めるヨーロッパ観光客がおかしかった。誰かがこんな写真を撮るのは日本人だけだ・・と言っていたがこれが珍しくて写真の素材に選ぶヨーロッパ人もかなりものである。

32人も寄ればなかにはアイコムファンではない者もいるが、隠れキリシタンを装う連中にアイコムのTシャツをむりやり着せるのも面白い。これを強要する私はアイコムの回し者だと言われているようである。
そんなことより嬉しいことは出発前にアイコム寺島部長が何かあればすぐに代用品を送るから安心しろと言ってくれたことである。もちろんその必要などまったくなかったことは言うまでもない。
 
シーギリアに登る

無線の話はメンバーの中出さんのWEBに詳しく掲載されているので私は全般的な話にウエイトを移すが朝食後いよいよシーギリアロックに登ることになった。

シーギリアはイギリスのチャールズ皇太子が世界8不思議と名付けたほど神秘的な岩山である。この頂上に宮殿を造って逃げこんだ王の物語もまた興味深い。
私にとってこれが3回目の登山になるが鉄のらせん階段や岩に這うように作られた鉄はしごはそれなりにスリルがある。

今回参加32名の中には当然何らかのハンディを背負っている人もいる。明らかにそれと判るのは池田さんで車椅子の彼は、初回は登山を断念せざるを得なかったが今回どうしても池田さんを頂上まで連れて行きたかった。頂上が無理ならせめてライオンの足の玄関までまでは登らせたいという思いがあった。
また初参加の三浦さんも義足を装備しているので頂上まで慎重にサポートしなければならない。
毎回参加の中浴さんも過去の大けが原因で2回の登山を断念している。また外見からは何も感じないが俗に言う障害者手帳の交付を受けている人もメンバーに居る。


入り口で交渉して池田さんには4人、三浦さんには3人のヘルパーをつけた。中浴さんは自力で200メートルの岩山を目指すことになった。何しろ鉄はしごや階段ばかりが続き通路はとても狭いというのが特徴である。
ここではいかにサポートの人間を多く投入しても両脇をかかえて手助けする方法では階段の幅が狭く役に立たない。

中国でも山岳地方に似たような環境の観光地がある。そこでは二人一組の籠屋さんが待ち受けている。2本の長い竹竿を二人が両肩にかついで客がその間に座って運ぶやりかただ。担架を両肩に担ぐことを想像すればよい。ちょうど客の頭が山側で傾斜に沿ってリクライニングシートに座っているように谷を見ながら登ることになる。

私も乗れと薦められたが担いでいる人が痩せて裸足であるのに乗っている人はみんな担ぎ手より太っているのが余りにも奇妙に見えた。第一申し訳ない気持ちで断った。竹竿がしなって今にも折れるのではないか思うくらいギシギシ音を立てているのは気が気でない。

シンガポールに輪タクという人力の3輪車がある。町を巡る観光客に人気の乗り物で平坦地の自転車だからたいしたことがないように見えるが、ここでも汗だくで漕いでいる人より乗っている観光客が格段重いという光景に出くわす。思わず代わってやれよ!いいたくなるがこれに乗るのも気がひける。発展途上国に行くときはせめて減量して行くのがマナーだと言われたことがあるが同じ経験をした人の正直な思いかもしれない。

シーギリアはスリランカを代表する観光地のせいか入り口付近にいつも大勢のガイドがたむろしている。この連中が頼みもしないのに勝手についてくるのであまりいい気がしない。
彼らは一応政府が発行するライセンスを持っているのだが気軽に利用する観光客は少ないようでおいそれとは仕事にありつけないようだ。もちろん健脚の観光客には不要な人たちだ。
しかしどうしてもこの手助けが必要な人がいるのは確かだがよく見ると彼らは書生風で汗を流すような服装ではない。まるで博物館の解説者のような感じでヘルパーとして頼りがいがない。


スリランカは元イギリス領で公用語はシンハラ語であるが町なかの商店以外はほとんど英語で事足りる。英国式だからハンディを持つ人にも安心と聞いていたが事実はまったく異なる。障害のある人が自由に外出できる環境とは言えない。ホテルでさえ選択を間違えると車椅子の人には不自由極まりないところが結構多い。
ましてやシーギリアなど元々王を殺して追われた王子が逃げ込んだところなので簡単に登れるわけがない。簡単にたどり着けば要塞として欠陥であるから正に障害を持つ人には難所といえる観光地だ。
このようなお国柄なのでスリランカ人なら誰も車椅子でシーギリアに登ることなど考えていない。当然政府観光局もそんな少数派のために階段を整備する余裕もなく我々が車椅子の仲間をシーギリアに登らせたいということは酔狂な外国人の気まぐれとしか思っていないだろう。

とにかくシーギリアのヘルパーは人力で観光客を担ぎ上げることなど考えていないから準備などもしていない。もしここで先の中国流竹籠があれば人が通れる幅さえあれば人間程度ならどこまでも登らせてしまう。しかしあれこれ思案してもシーギリアに池田さんや三浦さんを登らせるには今の時点ではこの頼りないヘルパーの手を借りるしかいない。

苦労の末池田さんはとにかくライオンの足まで、三浦さんは頂上までその他の人は自力で最高峰の宮殿跡についた。
風が強く日差しの強いこの岩山は何度訪れても奇異な場所で決してロマンティックな場所ではないがみんなそれぞれが感動を受けるようだ。ただ弟に追われてここに居を構えなければならなかった父親を殺した兄の心中を想像すれば恐ろしい人間の性を感じる。
この地以外に選択の余地がなかった事があせりと恐怖心のなせる所業であるとすれば人間とは追い詰められれば実に不可解なことを平気でするものだ。

この岩山にエスカレーターやエレベーターが出来ることは望まないが登りたい意志を持つ者が自由に登れる環境は整えてほしい気がする。また健常者でも危険と思われるところが随所にあるのでこれは早期に改善が必要だろう。
現在シーギリアロックはスリランカの多くの文化遺産と同様ユネスコの支援で修復、保存が進められている。ところどころ色鮮やかな新しい煉瓦で組まれた箇所がそのシンボルとなっているがこの遺産は何といってもスリランカの人たちが守らなければならないものだ。

最初にスリランカを訪れたときは日本人を見かけることはまれだった。最近では多くの日本人観光客がこの地を訪れ賑わいを見せている。その中で多くの若者にも出会った。ボランティア活動に従事する海外青年協力隊の若者や、スリランカで家造りをしている同志社大学のメンバーなど若い力強いパーにも巡り会える。これらの地が昔、文化の拠点であったのと同じように出会いの地であり人に優しい観光地であって欲しい。



シーギリアから見た我々が泊まっているホテルも感慨深いが、ホテルのプールから望むシーギリアも素晴らしい。
頂上からの360度のパノラマの世界は感動的でここはスリランカを代表する観光地であることは将来も変わりない。

池田さんや三浦さんがシーギリアに登れたことは我々の長年の願いであったこともあり満足だ。この願いがメンバーのささやかなプレゼントであることも嬉しく喜びを共有できたと思う。
ひとこと付け加えると実は4度もスリランカに来てシーギリアに行ったことがない者が一人いる。

ダンブッラ洞窟

次の世界文化遺産ダンブッラの洞窟に向かった。このときもガイドのARIさんにダンブッラの洞窟に池田さんを連れて行きたいと申し出たが快い返事がなかった。そこはシーギリアのようにガイドも居ないし無理です、が返事だった。
そう来るだろうと思っていたが工夫や考えもしないでこういう返事が返ってくるのは好きでない。
あたりまえのことだし何も難しいことはないのだからそれなら我々が連れて行くと伝えそれ以上言わないことにした。

ごつごつした岩が連なる坂道とだらだら続く階段のコースは車椅子では快適なルートではないが無線チームのメンバーは実によく動いてくれる。
池田さんには時折「減量せー!」などの罵声をあびせることもあるが、時には背負いながらまた車椅子ごと段差をこえて抜群のチームワークでようやくダンブッラの遺跡に着いた。

靴を預けて中に入ると初回この地を訪れたときの印象がよみがえってくる。素足の感覚は、初めてこの寺院を訪れた時ほど熱さを感じなかった。日差しは変わらないのに3度目のスリランカに私の体も順応しはじめたのだろうか。
今回は前回見ることが出来なかった洞窟の端まで足を運びダンブッラの隅々までを十分に味わった。

観光客慣れした猿のふてぶてしさと執拗なモノ売りにどこか共通点を見ながら観光地特有の雰囲気と町のたたずまいのおもしろさを感じた。


   さよならシーギリアビレッジ!

このあと我が超特急バスは無線チームが心待ちのキャンディのトパーズホテルを目指すことになる。このホテルで思いがけない事件が起こったが、帰国した今でも我々が受けた屈辱的な仕打ちは今なお納得がいかない。
スリランカに絶望感を抱く内容であるので少しばかり過激な表現になるかもしれないがこれからはスリランカを旅する人のために大いに参考になる話なのでこの後ご紹介したい。

我々のチームは観光を目的とするメンバーと無線さえできればご機嫌のメンバーで構成する混成チームだ。ホテルに入ってしまえばそれぞれの持ち場につくが同じバスで移動すると、もっとゆっくり観光地を巡りたい人と一刻も早く目的地に着いて明るいうちにアンテナを建ててしまいたいという温度差が出てくる。
私としては両方の立場を尊重しなければならないが、この旅の原点が無線運用にあるためどうしても無線班ひいきになるのは仕方がない。


この日から本格的な無線運用ができるということでどうしても5時頃にキャンディに入りたいと希望を伝えた。そのため途中のスパイスガーデンや見学地をパスする決断をした。当然これらの入場料は旅行代金として徴収していることからいわば権利放棄したことになる。もちろんトイレ休憩以外は止まらないということにして一路キャンディをめざした。その間鋭気を養うためか眠りに就くメンバーが多く車中は静けさが続いた。



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