もっともっとスリランカ
「四度目の正直、本当のスリランカを見つけた!」

プロローグ どんな人たちが行ったの?
過去を振り返りながら・・7月16日〜21日真夏のスリランカへ!
ひとりは寂しいな!
暗闇のインド洋の島に!
とにかくコロンボまで来たぞ!
コロンボに朝が来た!
精力的に関係者と会う!

「2003年・四度目の正直、本当のスリランカを見つけた!」

4回目のスリランカと言うと感動も薄れるだろうと言われるが、今回ほどエキサイティングスリランカを楽しんだことはないし、スリランカという国や国民性を思い知った旅はなかった。
本格的な夏を迎えようとしていた7月16日、今回の旅を計画するために急ぎ訪れたスリランカを2ヶ月も空けずに訪問した私の第3次スリランカアマチュア無線DXペディションを振りかえってみたい。

DXペディションって何?や、アマチュア無線をするために何でスリランカなの?という方を含めて、比較的少ないスリランカの生の情報をお伝えしながらスリランカに興味を抱く方にもお読み頂けるように心がけたつもりだ
もちろん私の目を通した思いであり、個人の主観で書き上げたものである事を付け加えておきたい



どんな人たちが行ったの?

今回の訪問チームは32名で構成された。そのうちアマチュア無線運用者は20名で3度目の大型アマチュア無線運用旅行となった。顔ぶれをご紹介しておこう。肩書きは本人の承諾を得ていない私が独断でつけたニックネームである。

チームリーダーとして筆者の私 長谷川了彦(4S7YHG/JA3HXJ
スリランカの免許はないが日本でも運用したことがない 長谷川敏子
JG3FPN
スリランカ大好き「こな爺の電波教室」でお馴染みの 小永井貞夫
(4S7CHG/JA3CHS
旦那様を絶えずリードする心優しいその奥様 小永井暢子
JH3FAR/4S7FAG
第三班リーダー、スリランカでの画像通信運用第一号 安孫子達
4S7GXG/JH3GXF

無線チーム資材・建設世話役リーダー 池田昌彦4S7DUG/JQ3DUE
チーム秘書役、いつも元気な小回り姉さん
阪本光
(4S7YJG/JM3INF
無線チームご意見番、顧問格 海老原和夫
(4S7GGG/JA3ART
無線チームリーダー観光しない宣言 田中透(
4S7QHG/JR3QHQ
その保護者肝っ玉母さん人気の
田中英子(exJE3VVO
無線チーム参謀格
中浴嗣也(4S7UJG/JA3UJR

第二班リーダー今回の飲食管理責任者 宮本荘一(4S7DBG/JA3DBD
声の美人bPその奥様 宮本文恵(
4S7OCG/JR3OCS
無線チーム指導教官元校長 大串龍生(
4S7ARG/JA3ARJ
無線チーム指導教官元NTT幹部 宮川久仁雄(
4S7LSG/JH3LSS
無線チーム青年団長 谷川忠顕(4
S7JKG/JG3JKG

パソコン通信サポート班長 白原浩志(4S7AQG/7J3AOZ
その奥様で辣腕のYLオペレーター 白原美咲
(4S7QIG/JN4QIN
無線と利き酒両党使い 大村拓夫
(4S7FDG/JA5FDI
無線と観光編集長元新聞記者 中出真澄(
4S7AVG/JA3AVO
その美貌の奥様 中出浩子(
4S7PBG/JH3PBG

無線無線無線だけ?の 舟木武史(4S7DSG/JI3DST
無線より観光の税理士さん 出崎豊(
JF3KKE)その
奥様で世界旅行通の 出崎和子
(JG3EVI
無線は無縁の 森太三郎、その優しい奥様 森栄子

生きている化石(失礼!)長老格のアマチュア無線家 西川正時(JA5BM
無線より写真、カメラマニアの 三浦憲彦
JE3OGG
JLRS熟年(まだ若い)YL・・気配りの 稲川絢子
JE3LFH
あまりにも有名説明不要の
岩崎好宏(JA3CF
無線より鳥の観察 長谷章 
JA3NGW
同じく芸術家肌 山田悦三
JH3VSR)の32名でなる大所帯となった。 

この旅を実現させるために急きょ飛び立たたねばならなくなった7月の臨時訪問は言いつくせない大変な旅であったが、もしこの調査旅行ができていなければ今回の旅行は頓挫していたに違いない。
この旅の前哨戦となった7月を語ることはどうしても避けることができないのでまずこのあたりから話を進めよう。なお記載されている内容は私の記憶の範囲で忠実に再現するように努めたが網羅するには紙面が足りないほどだ。

過去を振り返りながら・・7月16日〜21日真夏のスリランカへ!

2001年から始まった我々のスリランカ旅行はその3年前のあるきっかけから始まった。
長年スリランカは内戦続きで観光客が激減し旅行業は壊滅的なダメージを受けていた。そこで日本に多くいるアマチュア無線家をどんどんスリランカに呼びたい。ついては次の年が独立50周年祭となりイギリスのチャールズ皇太子を迎え、国あげて盛大な行事を行う。それにあわせてアマチュア無線局の運用をスリランカでやってみてはどうかという誘いがあった。


爆弾テロなどで有名なスリランカでアマチュア無線をすることについて我々の安全は保てるのか?
旅行者として訪問する我々に比較的容易にアマチュア無線免許を発給することが可能か?また継続的にアマチュア無線免許の発給が可能か?
独立50周年式典に出席するチャールズ皇太子と面談できるか?
世界で一番有名なSF作家である、あこがれのアーサー・C・クラーク先生に会うことができるか?・・等々の夢や不安があった。


そして約束はその後実現することになった。しかし当初は内心本当に上手く行くだのろうかと半信半疑だったが、有志を募って免許申請など旅の準備を進めることにした。
その年が明けた1月25日、電話がはいった。大使館からの情報によるとスリランカで爆弾テロがあり多くの死傷者が出たという内容だった。しかもそこがスリランカ独立式典のメイン会場となるキャンディの仏歯寺とのことだった。早速CNNのWEBで詳細をみたがやっぱり起こったかというのが正直な感想だった。
この事件で記念行事も大幅に伸び我々も旅を断念した。その翌年も小さいながら同じような事件が起こってまたも旅をあきらめることになった。

スリランカの内紛をこの紙面で語ることは困難である。これを機会にスリランカについて何かと学習したが、この国に平和が訪れるのを待つだけなら恐らく我々の命のある時間では実現しないと感じた。それならアマチュア無線だって平和の使者になれるかも知れない、日本の仏教の原点でもあり日本と大きな関わりをもつスリランカをこの目で確かめるのも悪くはないと考え思いきって出かける決心をした。これが実現したのは2001年の6月であった。

その翌年も何とか旅を継続した、2003年になった。従来なら春頃から準備を進め徐々に人や機材を確かめながら作り上げる我々の旅だが、今まで我々の旅の世話役が行方をくらませてしまった。
6月に入り旅の手続きなどのタイムリミットも徐々に近づいてきた。焦りと共に、これで我々が努力して築いた5年間の成果と歴史がたった2年で終わるのかと思うとせっかく苦労した時間があまりにももったいなく悔しい思いがした。
どうしてもスリランカに行かねばならなくなった。

ひとりは寂しいな!

一人旅は好きではないがニューヨークなどにも寂しい孤独な旅行をしたこともある。しかし今回に限って言えば大切な交渉事があるので一人では不都合だ。誰かを誘わねばならない・・。果たして突然コロンボに行ってくれるだろうか・・、メンバーの一人に恐る恐る声をかけたが仕事の調整がつかないという返事だ。月末なら可能と聞いたがそれでは遅すぎる。
こうなれば若手で行動力がある人が良い。会社勤めは勤務の調整が難しいだろうと考え自営業のメンバーを頭に浮かべた。そうなると遊び心がありそれなりに真面目で、度胸のあるほうがいい。それならかってJC活動で鍛えられた田中さんが適任と声をかけることにした。一瞬驚いていたがそこは長年の付き合いもあり殺し文句に「おい、スリランカでみんなより先に無線をやろう・・!」という誘いをした。猫には鰹節、田中さん説得にはアマチュア無線家にしか判らない撒き餌が効果的である。

双方の日程調整も相当だったが、田中さんの承諾を得たものの突然のフライトとなるとコロンボまでのチケット確保が思ったより難しいことが判った。
航空券の交渉は彼に任せたがキャンセル待ちになると言う。2年前のスリランカ便は搭乗率40%で横になったままコロンボまで飛ぶこともできたが昨年あたりからほぼ満席で今年などは100%の売れ行きである。

平和という嬉しい便りはテロで渡航制限を受けてきたスリランカにとって何ものにも代え難いすばらしい贈り物となったようだ。
昨年は我々の事業が日本外務省南西アジア課、在スリランカ日本大使館の後援を受けたため、スリランカ政府観光大臣がわざわざ我々のホテルにお見えになり会食をともにした。スリランカが観光地として従来の活気を取り戻す前夜祭のようなパーティーをすることができた。

スリランカを内戦と言うならそれも構わないが、エジプトの観光客を狙ったテロなどはスリランカにはない。外国人を傷つけてその国を敵に回しても何のメリットもないからだ。しかし昨年まで日本外務省の危険度情報はアジア13地域で一番過激な退避勧告の赤マークがついていた。
スリランカに限って言えば反政府組織LTTEのターゲットは現政府であり外国人を巻き込むことは世界を敵に回すことでありあってはならないことなのである。その証拠に外国人の犠牲者などほとんどでていない。一昨年暮れ現政府が成立するまでは空港の爆破やそれに報復する空爆などがあったが今の政権下ではすべて停止している。
世界の観光地で白昼銃撃戦やバス強盗が出る国があると聞くが、旅の安全は自ら確保するのが基本としてもスリランカはこういったトラブルの無い安全な地域であることは間違いない。恐らく仏教徒が7割を占めるお国柄も影響しているだろう。

スリランカは北海道クラスの広さに7つの世界文化遺産をもち冬には赤道のほぼ真下にもかかわらず紅茶の産地で有名なヌワラエリアの町では雪を見ることができる。スリランカは遺跡や動物植物の宝庫であり海から山、ジャングルから大都市まで多種多様な観光条件を満たす国である。

とにかくこのような事情で今は行方不明となってしまった世話役が放り出した後始末を私自身が処理するというみじめな旅が始まったのだ。我々の名誉と歴史を守るための高価な投資が始まった。
キャンセル待ちの末ようやく手に入れた航空券を手にタイ航空を利用しバンコクを経由してタイ航空TG623便でコロンボを目指した。このルートは9月の旅とまったく同じで言わば不安ながら旅本番に備えた予行演習となった。

暗闇のインド洋の島に!

日程調整の結果7月16日を出発日とした。この日を決めた7月9日から関空を飛び立つまで、もしかしてという淡い期待を込めて現地と連絡をとり続けたが何の返事もなかった。何しろ深夜にコロンボに着く便なのでどうしてもホテルまで安全にたどり着きたい。そんな思いが未練というか、あきらめの悪いFAXを頻繁に送る結果となってしまった。


飛び立つ前日、田中さんが駄目もとでもいいので一昨年世話になった旅行社にメールを送ってはどうかと電話をしてきた。その夜仕事を終えてパソコンの電源を切っていよいよ出かけるぞと深呼吸をした矢先だった。
私はどうせ苦労する旅なら自力で乗り切っていこうと考えていたが、このアドバイスもまた良し、と思いパソコンを再び立ち上げ旅行会社にメールを送ることにした。

バンコク空港の夕日は美しい。この美しさが余計にこの先のコロンボの暗闇との落差を生じさせるのかと思うと気が重い。空港のビール代も高いがこの先を思い浮かべながら飲むビールはいつになく苦く感じる。タダ酒ならいくらでもいける酒豪の田中さんが余り飲まないのもいつもと何かが違うのだろう。
6時間男二人のバンコク空港の乗り継ぎは苦痛である。いやたとえ妙齢のご婦人と一緒でも同じだろう。乗りつぎ便は短い待ち時間に限る。

暗闇のバンコクを飛び立った乗り換え便TG307便は一路コロンボへ向かった。

疲れ果てて着いたコロンボ空港は深夜にもかかわらず4便ほどの到着便があるようでにぎやかだ。
通関を済ませ外に出てみると人が溢れておりその賑わいに驚いたが予想通り迎えの姿はなかった。

タクシーを探そうとしていたとき田中さんが最初にスリランカを訪問したときのガイドのARIさんを見つけた。やっぱり来てくれたのだ・・地獄に仏とはこんなことを言うのだろう。あてにはしていなかったが世話役は予想通り来なかった。このとき私の心のなかで一つのケジメがついた。

とにかくコロンボまで来たぞ!

20数時間の疲れをいやすために詳しい話は翌日にまわしコロンボ市内のホテルに車を進めた。最初の年にコロンボで泊まったタージホテルのすぐ近く、海のそばにある137年前に作られたゴールフェイスホテルに宿をとった。

このホテルはイギリス時代の木造建築だ。エレベーターは蛇腹の扉でハンドル操作によりフロアのレベルをコントロールする恐ろしく時代を感じる今どき珍しいものだ。地球上から消えるまでに一度試してみるのも面白い。
部屋の天井は驚くほど高くバスルームの湯は出るがシャワーの切り替えが満足にできない。苦情を言って部屋を替えてもらうのが当たりかも知れないが、ホッとした空間を与えられた嬉しさが先にたってそのまま3日間をここで過ごしてしまった。
このくらい寛大さを持ち合わせていたはずであったが、9月の旅ではスリランカのホテルの絶望的な対応を何度も経験することになり私自身の許容範囲を超えてしまった。
この経緯は9月の記述をお読み頂き、これがスリランカ人の国民性か、はたまた個人の資質かは読者の判断に委ねたいと思う。

コロンボに朝が来た!

翌日7月17日さわやかな朝になった。ガイドのARIさんがホテルまで迎えに来てくれた。早速アンドリュース旅行社に向かう。2年ぶりにマヘン社長の出迎えを受け今回の目的を伝えた。アンドリュース旅行社は3年前初めてスリランカを訪問したときにお世話になった会社である。当然社長や
のRAVIさんとも会っていたので大変懐かしい感じがする。
旅の目的を確認したマヘン社長は実にてきぱきと電話をかけるなど事実確認に努力してくれた。
狭い国というのかカースト制度が残っているせいか分からないがある意味これらの人たちは社交界を形成しているのだろう・・我々が会おうとしている政府の要人とも旧知の間柄のようである。

コロンボ到着後一番最初に表敬訪問したのが今後もお世話になるスリランカ観光局だ。ここでもツーリストボードのチェアマンや幹部との面談をした。

精力的に関係者と会う!

7月18日、テレコムジェネラルとの会談でスリランカでのアマチュア無線交流センターの設置について提案があった。ジェネラルの勧めはRSSL(スリランカアマチュア無線連盟)と協調関係を保ち大半のアマチュア無線家が集まるコロンボ市内で交流地点を設けてはどうかというものであった。もっともな話でありその趣旨に沿って今後進めるのが妥当ではないかと感じた。
7月の滞在中にツーリストボードのチェアマンやテレコムジェネラルとの会談など有意義な出会いが

多かった。リランカテレコムのWEBにこの時の目的が掲載されている。
それに加えRSSLメンバーの4S7TZ、トレボアさんとの出会いもあり大きな収穫があった。
行方不明の世話役と会うために向かったキャンディでは見事にすっぽかされたものの無線運用に適したホテルを探すことができたし日本との交信が実現できたのは幸いだった。

よしこれで何とか9月の旅は出来るぞ!という確信を得て帰路についた。帰りはバンコクでの乗り換え時間も短く20日、日曜日午後3時に関空にたどり着いた。
田中さんありがとう・・・


表紙へ