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4S7YHG/JA3HXJ(2001.6.7-14)
初めてのスリランカ訪問の記録その2

運用地ギリタレへ移動

 私の免許状の運用地はコロンボ市内と記載されています。みんなの免許状は具体的な地名が入っていましたが、観光地訪問と効率よい運用を果たすために連続3日宿泊するギリタレに運用地を変更するように求める事にしました。
 この願いも比較的簡単に認められましたが、こちらは単純に3日間同じ場所で運用したいという思いだけでしたが、実を言うとその運用希望地はスリランカ軍の重要施設の近くでしかも突然運用場所の変更を申し入れたものですから、観光局やデフェンスから相当心配された、と聞いたのはその後のことです。恐らく我々が運用した3日間はずっと軍の監視下にあったと思われます。


 運用場所となったギリタレは、コロンボ市内から車で6時間くらい北東に走った有名な遺跡に近い町です。西部系鉄道の大型観光バスは、人と車と自転車の間を猛スピードで駆け抜けていきます。
 このバスの運転はどう形容すればよいのか戸惑うくらいすさまじい運転です。正にサーカスの演技のような芸術品ともいえますが、その昔カミカゼタクシーと外国人を恐がらせた運転がそのままスリランカに移植されたような感じです。しかもそれが大型観光バスときていますから驚きです。
 わかりやすく言えばその国の運転マナーは、その国の人の命の値段に比例している事が良く理解できます。これでは事故発生の確率は日本の数十倍だろうと思えます。ただ運転手の腕は確かに良いのは分かるのですが、バスによる公道のレーシングやカーチェイスは私にとって初めての経験でした。何よりも不思議な事はバスが相手によってクラクションの音を変えながら走っていく事でした。


 興味まじりに休憩中にドライバーに聞いてみました。彼は西武鉄道のバスについて「日産ディーゼルは最高だ!いままでメルセデスベンツ、ボルボのバスに乗ったが、この日産以上の車には出会わなかった。最高だ!」と親指を高らかに掲げ私に言った言葉には満足感が漂っていました。その自信のせいかこのバスの走りは帰途のコロンボ空港まで変わる事がありませんでした。
 

深夜のアンテナ組み立て

 ギリタレの「DEER PARAK HOTRL」は湖のほとりにあるコテージ風のホテルですべて平屋つくりです。北海道を少し小さくした程度のスリランカには鉄道はあるものの走る列車のドアは開いたままで電化されていません。

 ちょっと見ただけでもこれでは自動車輸送が急激に増える理由がわかります。スリランカは、もっと鉄道を整備する必要を感じました。興味深い景色やめずらしい動物などを車窓に見て、少しばかりの休憩をとりながら走り続け、ようやくホテルに着いたのは夕方6時を過ぎていました。暗くなっていたのであたりの様子がよくわかりません。ただ林に囲まれたまさに森林浴をするためにあるようなコテージであることが分かります。
 何しろ薄暗く広大なホテルの敷地に平屋の建物が続くので状況を把握するのが困難ですが、食事までの短い間どの部屋を運用ベースにするかホテルの支配人とともに周囲を歩き回りました。
 みんなもそれぞれ同じことをしていたようで、いつのまにか夜のプールサイドに有志が集ってきました。その結果海老原さんの提案で、109・110号室の湖に近い部屋に白羽の矢がたちました。
 今夜からこの部屋の住人は眠れない3日間を過ごす事になるはずですが、志願兵のような無線大好き人間の部屋が希望どおり運用拠点に決りました。

 観光組にとっても便利なこの地は、あすからの移動のホームベースです。当初免許地となったコロンボ市内からでは移動するだけですべての時間が浪費されてしまいます。
 無線だけ楽しめれば良いという連中と観光だけが楽しみだと言う人たちの接点がこのギリタレにあるような気がします。「花より団子」はその価値観によって意味合いが異なるようです。


 さて、食事を急ぎ終えて必然的に暗闇の中アンテナ組み立てに入りました。早速新品のアイコムIC−746の梱包を解きました。持参した16線を立ち木に引っ張りロングワイヤーとしてアンテナチューナーで無理やりに電波を乗せてみました。何しろ真っ暗でしかも密林とまでは行かないもまでも、木が生い茂っている中で余り期待する作業ができません。
 20mくらいに切った単線は接地ができておらず、全く電波は出ていないようでした。改めて接地をやり直したのですが、結果として10〜20ワットくらいの出力しかでないようでした。
 そんな訳で運用は後にするとして明朝の作業のために持参したアンテナを組み立てる事にしました。持参したアンテナは、R−8Jバーティカルで、7Mhz〜50Mhzに対応しますが実際は7、10、14、18、21で使用しました。このアンテナは池田君の手によって事前に国内で組み立てられ検証を終えているものです。
 頭につけたライトを頼りに必死になっている姿をみると職場の上司から「そのくらい真面目に仕事をしてみたら‥」と陰の声が聞こえるのではないかと思えるくらい真剣な表情です。もう1本がF9FT、50Mhzの5エレで暗闇の中で何とか組み立てが完了しました。

 作業を終えた時にはホテルの誘導灯がすべて消され、全く帰り道がわからなくなっていました。私の部屋がホテルの端にあるのは、私が希望したわけではないのですがみんなの部屋と異なるからです。浴室には木が植えてあり20畳くらいの広さがあります。
 日本では考えられないくらい広い部屋でしたが、このために細道を月あかりだけを頼りに部屋まで帰らねばなりません。何しろ足元に1メートルものオオトカゲが出るところですから気が気ではありません。


 

私の誕生日9日の朝

 短い睡眠時間で朝を迎えました。聞くところによるとあれからアンテナを整備して強引に電波を乗せて運用をしたようです。スリランカ運用の第1声は池田君だったそうです。

 UTC9日の早朝だったようです。一応私に配慮して第一声は‥とのことで呼びに行こうかとの話がでたそうですが、遅いので避けたとの事ですが、それは話だけのことでしょうが、とにかくいい報告でした。
 朝飯前という言葉があるようにみんなは5時半に起きてアンテナ建設が始まりました。明るくなって判ったのですがアンテナ設置には最適という環境ではありませんでした。
 アンテナのベースよりシャックの方が高いところにある配置となってしまいました。第一声のセレモニーは既に終わっていた事もあって、アンテナ工事を終えて朝食の時間となりました。いよいよきょうから二組に分かれて行動を開始する日です。

 私の日本での生活は、比較的早起きです。日課は朝起きてメールを開き返事を書いて食事をとり出勤します。疲れきっていてもタイマーのように目が覚めます。この日も5時半ごろに目が覚め「ああここはスリランカだ!」そんな思いでベッドから飛び出しました。
 真っ先にやりたかったのは電子メールを読むことです。ところが残念なことにこのホテルではインターネットができません。部屋に設置されている電話は何とインターホーン機能しかないことがわかりました。
 フロントまで行って接続すれば可能だそうですが、それに挑戦した安孫子さんから「カード照会・決済用の回線なので短く‥」と催促されたと聞いてあきらめました。
 これに似たことはあのアメリカでもあるようで、ホテルからのインターネット接続は意外と初心者ならずとも旅行者の敵と言える環境の宿が世界中にまだまだ多いことを実感しました。

 このお陰ですぐに109号室に向うことができました。昨夜迷いながら帰った道をたどりながら部屋に行くとまだ作業は始まっていませんでしたが、支えとなるベースを定め昨晩組み立てておいたアンテナを起こす時には全員が集まり比較的短い時間で作業を終えることができました。
 すべて平屋のこのホテルは、林とプールと熱帯植物に囲まれリゾート施設としては最高の場所です。スリランカサルが頭上を走り回わり、足元にイグアナが歩き、リスが寄ってくる自然の中です。
 何も考えないでゆっくり読書にふける‥日本では久しく遠ざかっているあこがれの環境のように思えます。
 レストランは大きなダイニングルームをイメージした感じで、リスがそばまで寄ってきてホテルの従業員から大きなパンを貰って木に戻る、そんな光景が目の前に広がります。朝食の話題も大きなイグアナに出会ったとか、サルが暴れまわってうるさかったとかの話でもちきりでした。猿に言わせれば無線の音がやかましくて「寝られへん‥」だったに違いありません。

 

世界文化遺産への旅立ち

 スリランカまで来て無線だけした!そんな奇妙な人をいぶかしがっていてはアマチュア無線など理解できません。無線そっちのけで観光に行くような人は軽蔑ものです。

 私も後ろ髪を引かれながらも、たった2台しかない無線機に11人がしがみついてはまずいと観光組に加わりました。つまり無線好きの仲間に花を持たせる大義名分ですが本心はすでにばれています。スリランカの歴史の原点でもあるアヌラーダプラへ観光組がスタートしました。
 スリランカは仏教国です。しかし将来は「‥で、あった」となる恐れを抱いているのが、シンハラ人率いる現政府の心配事です。このページはスリランカの政治を解説する場で無いので詳しい説明は別に譲りますが、先に述べたシンハラ人とタミール人の紛争が続いている間に合法勢力であり野党を結成しているイスラム教徒の力が増大していることです。
 スリランカの内戦は意外とこのあたりから一時的な解決を見るのではないかと勝手な想像をしたのは私だけではないと思います。そうなればやがてはイスラム勢力との新たな衝突が起こるのではないかとも考えられます。人間の歴史は限りなく繰り返す宿命にあるのでしょうか。

 仏教遺跡に囲まれたスリランカは釈迦が3度訪れた地だそうで、紀元前にさかのぼる歴史を持っています。
 最初に行ったアヌラーダプラの遺跡はさすがでした。寺院のそばにそびえる菩提樹の大木はお釈迦様がインドから運んできた木が原木だそうで絶対枯らしてはならないと大切に保護されています。 昔は自由に菩提樹のそばまで行けたそうですが今は完全に立ち入り禁止です。この寺院に限らず寺や遺跡の多くはすべて靴を脱がなければならず裸足か靴下着用で入らねばなりません。
 裸足になることなど滅多に無いものですからあの砂の暑さには飛び上がる思いで、かなりきつい修行です。町の人たちは裸足が多いのでこれも慣れでしょうが、旅行者には厳しい課題です。

 その後も駆け足ながら多くの遺跡を見ましたが、やはり焼けた鉄板の上を裸足で歩いているようなところが多いのが特徴です。

 それはともかく、これらの遺跡は現在ユネスコの手によって修復や保全が行われています。
 スリランカ独自ではとても賄う事が出来なくらい莫大な資金が必要であることが容易に判ります。修復を終えるころにスリランカの平和が訪れる事を祈りながら、ベースキャンプに残してきた無線班を気遣いながらDEER PARAK HOTELに戻ったのは夕刻になっていました。

 夕食の時間までホテルのシェフを呼んで本格的なカレー料理つくりを学びました。みんなから実習をしろと言われたのは独身の阪本嬢です。まだまだ修行が足りないような手つきでしたがシェフの手を借りてカレー料理が出来上がりました。出来栄えは夕食事のお楽しみです。

 みんなが揃いディナーに入る前に私のテーブルに突然ケーキが届きました。6月9日は私の誕生日です。

 初日の小永井さんのラウンジでの短い時間にくらべ、みんながテーブルについたオフィシャルな場所で祝ってくれるバースデーケーキは今まで味わった事が無いくらい感動の味覚でした。最高の甘さは、この当日結婚式を挙げたばかりのカップルにもおすそ分けして喜びを分かちあいました。
 それにしてもすさまじい甘さのケーキと、これまたハードな劇辛カレー料理の取り合わせに言い表せない文化を感じます。
 食事を終えて、真っ先に向かったのがシャックです。今夜と明日を逃したらせっかく取得した4S7YHG運用のチャンスがなくします。
 AよりEU各局が入感しますがそれでも翌日とあわせて60局ばかりとQSOする事ができました。モードはすべてCWです。コンピュータマニアの安孫子さんは RTTYやSSTVの運用を行い、4S7から貴重なSSTVでのQSOに成功しました。何よりも興味深くこの無線運用を眺めていたのは旅行社の添乗員「アリ」さんでした。彼はスリランカで日本語を習ったそうですがボキャブラリーも豊富で、海外で怪しい日本語しか話せないガイドに多く出会っている私としては彼の勉強熱心さには敬服しました。
 おそらくアマチュア無線免許を取るはずです。来年の再会はアマチュア同志、という出会いにしたいものです。

 

さあ6月10日「世界8不思議のシーギリア」へ


 シーギリアをご存知の方は意外と少ないようです。私もスリランカに興味を抱いてその存在を初めて知ったスリランカの王国跡です。父親である王を殺して王座についた国王が、弟の復讐を恐れてこんな岩山に宮殿を作ったそうで、この王は狂人という記述もあり現地を眺めるだけでさもありなんと理解できるのが不思議です。

 シーギリアがそんなに珍しいの?という方は是非一度行ってみるとよいでしょう。よくあんな岩

のてっぺんに宮殿をつくったものだと感心するだけではなく、下からの眺めは壮観で、1800段あるという崖に張り付く鉄製の階段を上り始めるとこれが実感できます。
 スリルは満点です。弟の復讐を恐れこの場所を選んだ国王は、実は大変な芸術好きだったようで途中に残っている鮮明な壁画からその趣味がうかがえます。

 遺跡の素晴らしさとは別に焼け付くような日差しのもと、見た目に危険極まりないと思える鉄ハシゴを登る観光客の安全を考えると日本ではぞっとする光景に違いありません。もっと安全係数を上げないと日本人は行かないぞ!と考えた時「ああそうだ!あの車の運転もしかり‥」つまり命の値段が安いために起こる社会現象だと思えたものでした。

 そういえば私の旅は20数回の中国が一番多く、もし何かあっても大した保証のない旅が多くありましたが、観光客を本格的に呼びたいと願うスリランカ政府にとっては一番先に取り組まねばならない課題ではないかと感じました。さて、最終日に我々を招いてくれる観光局主催のパーティーでこんな話をしていいのか・・・
 とにかく形容しがたいくらい強い日差しの中でゆっくり登りながらてっぺんに立ったときは360度広がる景色に思わず見とれてしまいました。今までの危険な階段のことなどすっかり忘れています。こんな山の上でどうやって生活したのだろうと言う不思議な思いは限りなく広がり、「水が湧き出る池」をみてその謎は深まるばかりでした。
 シーギリアは行ってみなければその奥深さを見極める事ができないところに違いありません。この地を世界7不思議から一つ加え8不思議のしたのは建国50周年に訪れたイギリス、チャールズ皇太子だったとの話を聞きました。


 シーギリアの見学を終えて昼食のためにホテルに戻ることになりました。無線班と情報交換するための昼食会です。せっかくコンディションが上ってきたのに‥としぶしぶ食事に現れる連中を見ると限られた時間に無線機の奪い合いをするほど夢中で運用していたようです。

 午後から無線チームに合流するものもいてさらに少ない人数で午後からあらたな遺跡に向かいました。仏教美術やこれらに関心のある人にとってはスリランカは宝庫に違いありません。恐らく何ヶ月居ても飽きない国でしょう。この遺跡群を説明する事はこのWEBでは困難です。

 後にも先にも今夜が4S7最後の運用日になってしまいました。突如予告もなく出現した11局のアマチュア無線局はスリランカ建国以来のできごとと政府関係者に言わせたアマチュア局の運用も翌日の朝をもって終わりを告げます。私も短期旅行者として初めて取得した4S7YHGのコールを有効に活用する義務を負います。合間をもらって18.7.21で続けて運用させてもらいました。
 次回は絶対ビームアンテナで勝負するぞ!と心に誓いながら…深夜になってシャックを離れ証明が消された夜道をまた部屋まで帰る時は前日と違い迷う事も無く歩けたのですが、なにか寂しさに似た感じをいだきました。

                              

DE JA3HXJ

 



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