三つ星の宿・・・

 北海道行きのフェリーでも、各地の駐車場や道の駅でもキャンピングカーの展示場のような光景が多く見られれるのが北海道の夏です。
 今回の旅を計画したとき思い浮かべたのは、宿と洗濯もののことでした。これを理由に二日に一度はホテルに・・と考えていました。
 ところがあの狭い狭いキャンピングカーの空間でしたが意外と快適で、北海道の寒さがかえって心地よい眠りを誘ってくれました。
 一日の終わりは夕方5時過ぎに新しい町に着き、散策を終えて食事を作り、片付けものをして眠りにつくのが旅の決まりになりました。
 テレビがきれいに映る場所もありますが、山間部では全くNGというところも多くありますが、テレビがない生活もまた良しです。
 目覚めるのは5時前で、朝食を済ませ6時には次の町に向かって走り出します。朝食の遅いホテルに宿泊するとどうしても出発が遅れるので敬遠しました。走り始めてしばらくしたらラジオ体操の音楽がながれるのが日課になりました。

 その昔の旅人がそうであったようにお天道様と起きて、お天道様とともに眠りにつく・・・なんと自然の摂理にかなった旅ではありませんか。
 北海道の日の出は4時半くらい日没が7時過ぎ・・・まさにこの時間精一杯動きながら旅の営みを続けたことになります。 
 最後の夜こそ札幌のホテルにで泊まりラウンジでゆっくり・・と考えましたが「もう慣れたから、最後までこの狭い空間で・・」と逆に家内から提案され結局すべての日程は三つ星ホテル「還紅」を宿にすることになりました。
その、日替わりの宿はどんな町だったのでしょうか・・・

7月8日日曜日:自宅を出る

7月9日月曜日:小樽港到着の日
 舞鶴港を出たのは7月9日、日付が変わってすぐの0時45分・・快適な船旅を過ごし、小樽に着いたのが夜8時45分です。
 翌日10日、7時30分に稚内港から礼文島に渡るフェリーに乗らねばなりません。この日は小樽から深夜の道を走り続け稚内港をめざします。港で朝を迎えることになりました。

【公園から稚内フェリーターミナルを望む】

7月10日火曜日:礼文島の一夜
 礼文島は一周することの出来ない島だということを知りました。ここが利尻島と根本的な違いです。町の大半は東側海岸にあり、わずかに拓かれた西海岸の集落に行くには山をこえて海を目ざさねばなりません。交通の便が悪かった時代はこの山越えは大変な労力だったと想像できます。
 礼文島は美しい島です。お隣の火山島利尻とは木々の緑や花さえも異なる異国のような雰囲気を持った島です。礼文島から見る利尻富士はまるで箱庭のように礼文の勇壮な景色にアクセントをつけます。
 火山島である利尻と全く異なる環境が、わずか隣り合わせの島なのに、まるで別の国に居るような錯覚に陥るのはなぜでしょうか・・。
 
 港のガソリンスタンドのおじさんから島の見所を仕入れ満足出来る名勝を訪ねることができました。
 思わず来て良かった!と言える離島の旅は大きなインパクトとなったのは言うまでもありません。

 旅立つ前、礼文の宿をあらかじめ探していました。もちろんその場所付近にもいきましたが、道中久種湖という湖を見つけ、その湖畔に美しいキャンプ場があることを知りました。恐る恐る事務所に入り尋ねると、オートキャンプ場もあり電源コンセントなら事務所前の駐車場で自由に使って良いよ・・とのこと。
 町栄の施設だそうでお言葉に甘えて一晩お世話になることにしました。
 費用は一人600円也。支払うとホッケのひらき時価300円を2枚プレゼントしてくれました。

 敷地内の小高い丘に登りこのキャンプ場を見下ろすと管理事務所の前の「還紅」が赤い点に見えます。
 ここはハイキングコースの起点にもなっているようで美しい湖と小鳥のさえずりが聞こえてくるような感じでした。








 すばらしい自然の中で、昼食は炊きたてのご飯に、漁協の直売店で買ったウニをたっぷりのせて豪華なウニ丼・・正直こんな美味しいウニ丼は初めてでした。
 夕食は、電気もふんだんに使えることもあってお好み焼きとしゃれ込み冷蔵庫から冷たいビールを取り出し礼文島の夜は更けてゆきました。

7月11日水曜日:南稚内駅
 この日朝、礼文島鴛泊港から利尻島に移動しました。利尻島は見事に島を一周することができます。名所をゆっくり訪ねながら島巡りを済ませ夕方のフェリーに乗って、北海道の岬巡りのスタート地点稚内にもどりました。
 今宵は稚内でしか食べられないものを地元のお店でいただこうとばかり、稚内で一番賑やかな繁華街はどこだろうか・・と聞いてみました。
 そうすると南稚内駅あたりに飲食店が多いとのことです。さっそくその稚内銀座を目指しました。
 稚内駅ではなく、南稚内駅が賑やかだという意味があまり理解できなかったのですが、行ってみるとあまり大きな駅でもなく、列車の発着も少なく改札も切符売り場も誰もいないという不思議な駅でした。
 
 駅前の通りは結構飲み屋さんが多くタクシーも駅よりもこの通りに集まってくるようです。あまり遅くなると宿泊地に苦労するので、駅のトイレを利用できる駅前の駐車場に車をいれました。
 係のおじさんに聞くと朝までの駐車料金は600円で、朝早くでるなら係員が来るまでに出られるようにすると交渉がまとまりました。今夜はここがホテルです・・・。
 そして稚内のお店探しをかねて駅前の散策にでかけました。そして一軒の居酒屋風和食の店の暖簾を恐る恐るくぐることになりました。神戸から来た客が珍しかったのか稚内情報を教えてもらったり、常連さんのキープしている昆布焼酎をいただいたり・・稚内でしか食べられない海の幸をたっぷり味わいました。
 あとは眠るだけです。駅の構内というと、終電車に乗り遅れた酔っぱらいを思い出しますが、十分酔っぱらいを実感しながら稚内の夜を過ごしました。

7月12日木曜日:かみゆうべつ温泉
 岬巡りの重要宗谷の寒さは格別でした。外気温約10度、風速推定10数メートル何を着込んでもたまらない寒さ・・・そんな中バイクツーリングのロケチームが撮影を始めました。
 東京からきたというスタッフはこれでも夏か・・と、思わずぼやきが飛び出すくらいでした。
 稚内灯台そして宗谷と、寒い北海道を味わいながらその日の宿は上湧別の道の駅チューリップ温泉になりました。
 この道の駅は温泉の駐車場とは別にフリースペースがあり多くのキャンピングカーが集まってきます。何より温泉と併設していることが人気の理由のようで、私もこの快適さの仲間入りをしました。
 ここには昭和62年に廃線になった湧網線・・、平成元年に無くなった名寄本線で使われていた車両の展示資料館があります。
 朝早く起きてこの車両を見ていると、熱心に見入っている人が居ました。話かけると元国鉄マンで車掌としてこの線に乗務していたそうです。
 話を聞いてみると、国鉄民営化時代の陰の苦労話やや離散した同僚などへの思いなど多くの話を聞くことが出来ました。
 話のよるとここに展示されている簡易ラッセル車を走らせていた時代は機関士、助手、補助員、主任・・とか数人で動かしていたとのことで民営化の現在では考えられないくらい贅沢な人配置だったようです。
 時代の流れというのでしょうか・・既得権を守るために変わることに臆病になった当事の国鉄の思い出がその日の朝の話題でした。
 北海道はあちこちに駅舎をそのままにした思い出駅が多く残っています。
 車とバスがなければ暮らせなくなった周辺の人たちは鉄道に対しどんな思い入れがあったのか直接聞くことができませんでしたが、鉄道の重みや人々との関わりを改めて感じさせてくれたのがこの北海道の旅でした。

7月13日金曜日:羅臼
 知床半島の感動は言葉に言いつくせないものです。この朝真っ先に向かったのが網走です。
 迷わず博物館「網走監獄」に進路をとりました。毎朝5時起床、6時にスタートするのですから網走監獄に着いたのはオープンに合わせた9時直前でした。
 監獄という言葉が死語のようになっていますが、刑務所より日本語的です。
 近代的刑務所に変わった今、不要になった昔の監獄建物を現在の場所に移築して観光用に再利用している野が「網走監獄」です。結構面白いところです。
 
 網走で昼食の為にガイドブックにでている寿司屋に行きました。残念ながら看板に偽りありで、ネタはそれほど悪くないのですが関西の味覚から比べると費用対効果は劣悪でした。ガイドマップの信用できない面に出会うことも珍しくなく、騙されることは結構多いものです。
テレビに出たがるお店とか、テレビで紹介されました・・などを看板にしている店には立ちよらないことにしています。
 その昔、神戸の美味しい店100店という企画の手伝いをしたとき、知らせたいお店から随分断られました。
 オーナーは決まって、本で紹介されると常連さんに迷惑がかかるので勘弁して欲しい・・というのがその理由でした。
 その意味が良く分かる機会に何度も出会っています。
 車を進めていると小清水原生花園に差しかかりました。駅もあります。釧路や網走にいく列車が走っているようです・・美しい花畑のあるところでした。
 そして名瀑「オシンコシンの滝」に出会いました。双美の滝と呼ばれているこの滝はすごい迫力がありました。
 そして知床半島を海から見る観光船に乗船します。開発を嫌う自然が知床にあります。この眺めをひと言で表現するのは困難です。
 雄大な景色に満足しながら、今夜の宿を決めなければなりません。ウトロの観光船乗り場から峠越えで羅臼の町に入りました。今夜の宿地は道の駅「知床らうす」です。ここでも結構多くのキャンピングカーが集まってきます。
 「還紅」の愛くるしさでしょうか・・ここでも人気者です。道の駅の隣の物産展のオーナーから声をかけられ羅臼のお話しを聞くことができました。そのお店の前をお借りして町で仕入れた材料で夕食に取りかかりました。
目前に国後島が見えています。北方領土がこんなに近いのかと感動する場所で眠りにつきました。

7月14日土曜日:阿寒丹頂の里
 根室への道は淡々とつづく典型的な北海道の道です。
 道路標識の温度表示は10度・・毎日こんな気温の中を動いていました。北海道は寒い!
 羅臼を出て根室へ向かいます。北海道の地名は面白いものが多くあります。アイヌ語に漢字をあてはめるとこうなるのか・・というものが多くあります。
 標津町や別海町を通り、北方四島交流センターを訪れました。
 この日も民間レベルの交流事業、北方四島からのロシア人30人が帰る日とのことでお別れ会の準備がおこなわれていました。
 かなり長い時間この資料館の展示に見入りながら近い過去の日本の歴史を振り返りました。
 この立派な施設は根室市が運営していますが、ロシアとの交流などの費用は外務省が負担しているそうです。
 日本固有の領土である北方四島の返還を求める大きな声を抑えて、まず民間レベルでの交流を図りその去就を見極める・・実に日本的な戦後の外交を見るような思いでした。
 納沙布岬、雨の摩周湖、阿寒湖をまわりながらこの日の宿泊地「釧路の道の駅、阿寒丹頂の里にたどり着きました。
 ここはマリモ国道と呼ばれる国道240号に面し、阿寒国立公園の入口にある道の駅です。すぐ近くに丹頂ツルの観察ができる、釧路市阿寒国際ツルセンターなどがあり人気の道の駅です。
 この道の駅「阿寒丹頂の里」の道路をはさんで「赤いベレー」という温泉ホテルがあり日帰り温泉客も利用しています。


7月15日日曜日:道の駅忠類
 この日記念すべき訪問地は釧路湿原です。道中、個人経営の牧場に立ち寄り朝食中の牛たちを激励しました。突然の来訪者に迷惑そうな表情で我々を見つめそのうち一頭は小屋に帰ろうとする始末で、歓迎されていないことはすぐわかりました。
 
 釧路湿原展望台から、湿原遊歩道を歩いてみました。そんなに長い距離ではありませんが30分程度の遊歩道をゆっくり歩きながら自然の中にいる幸せを満喫できました。何もないのが素晴らしいと思える大自然でした。
 湿原から少し離れたところに北斗遺跡があります。旧石器時代から縄文・続縄文時代を経て擦文時代に至る重複遺跡で、釧路湿原を望む台地上に、縄文・続縄文時代の浅い円形・楕円形竪穴102軒、擦文時代の四角形竪穴232軒がくぼんだ状態で残されています。
 復元住居を見るためにさらに700m山道を登り全く人のいない木道を歩きました。
 日曜日の観光地に人が一人もいないという不気味さが不思議ですが、北海道って基本的にはそんなところですね・・
 湿原から釧路駅まで30分程度でしょうか・・雨模様のなか駅前を通りいよいよ襟裳岬です。
 台風と地震情報の中を旅した今回の北海道ですが、寒い北海道を再認識しました。究極は襟裳岬でした。
 霧か雨なのか定かではありませんが、駐車場に停めた車が転覆するのではないかと思えるくらいの強風です。しかもカメラのレンズがすぐに曇るような細かい水しぶきの中です。
 岬の突端の灯台を早足でまわりとにかく下界におりることにしました。
 今夜の泊まりは幕別町の忠類です。ナウマン象の発見地で有名な町に道の駅があります。
 博物館有り、オートキャンプ場あり、温泉あり・・恵まれた環境です。
 ここで初めて姉妹車ラ・クーンと出会いました。
 声をかけたかったのですが我々の旅立ちは早く、まだお休みのようで記念写真を撮るだけに留めました。
 いずれどこかでお会いで来るかも・・・

7月16日月曜日:道の駅ひがしかわ「道草館」
 岬巡りの海岸線走行からいよいよ北海道のど真ん中へ車を走らせます。朝一番幸福駅・・の標識を見つけ脇道にはいりました。数少ない売店もようやく開店したばかりでしたが、印象としては幸福とは縁遠い駅舎でした。
 所狭しと張られた名刺や張り紙はとても美しいものではなく、幸福ってこうやって朽ち果てていくのかな・・そんな寂しさを感じました。
 
 帯広駅から富良野を目指しました。目的はラベンダー畑をみたい・・のリクエストからです。
 この日は盛りだくさんです・・・富良野の日本のど真ん中に立ち、かの有名な「あさひやま動物園」にいき、海側の町とは異なる北海道を見た感じです。
 そして明日は大雪山・・今夜は上川郡東川町「道の駅ひがしかわ」でお世話になることにしました。
 お隣さんは福岡からの乗用車キャンパー・・・リアーハッチをあけるとその下は洗濯物の山。すごい・・コマメ!
 東川は近所に大型スーパーがあります。決して都会ではないのですが生活するには結構便利な町だという印象を受けました。



7月17日火曜日:ちっぷべつ
 道の駅「ひがしかわ道草館」・・お隣の福岡の洗濯おじさんにご挨拶もできず次の予定地に車を走らせました。
 愛車「還紅」には気の毒なくらい大きな負荷をかけているので坂道は最も苦手です。
 北海道ではすべての車が「還紅」を追い越していきます。
 時々・・かなり長い時間追従する車もありますが最後には辛抱たまらず猛スピードで・・・同じ場面ばかりです。
 制限速度プラス10kmが私のペースとしました。その車をすべて追い越していくのですから北海道がゆっくりしたリズムというのは嘘です。大阪よりもっとせっかちですね!!!
 それよりもっと無粋なのは、交通取り締まりです。無人の取り締まりシステムは慣れっこですが、道中5回有人取り締まりに遭遇しました。常時レーダー波を出さずに車が来たときだけ電波を発射するシステムをご存じですか?
 ゆっくり走っている私の車にレーダー波を発射するのですから、お巡りさんも大変ですね。
 私を一瞬に抜き去るドラーバーは捕まらず許容値を少し越えた車がその対象になるのは可哀相な感じがします。
 この日連休も終わり、中越沖地震の復興ニュースを聞きながら目指すは大雪山、旭岳です。
 ロープウェイ山麓駅は気温10.5度風速5mの表示が出ています。始発は6時ですが前日の休日は行列ができたとか・・。
 我々が乗ったのは午前7時の便でしたが、驚くほど誰もいません。101人乗りのゴンドラにガイドさん以外は5人・・ほぼ貸し切り状態です。旭岳はすばらしい景観でした。
 そうなれば層雲峡に行かなくてはなりません。層雲峡には哀しい思い出があります。40年近く前大学4年生の友人がこの山で亡くなっています。しかも私が歩いているこの季節、夏です。それがどの辺りだったか定かではありませんが今も忘れられない出来事です。

 大雪山系には多くの自然遺産が残されています。銀河の滝にも立ち寄りました。
そして鐘のなる町「秩父別」に着きました。道の駅「ちっぷべつ」は広く安心できるところです。当然、温泉施設もあり充実した道の駅です。
今夜の泊まりは「ちっぷべつ」に決まりました。
ここでも「還紅」は人気者でした。
 大きなキャンカーを買い換えるので・・とか、排ガス規制の対象で廃車にするから車両を検討中・・など様々な話題で声をかけてくれます。愛車の周りには人が寄ってきます。

7月18日水曜日:余市
 一面ひまわり畑がつづく丘・・花盛りの北海道は心が安らぎます。
 その昔初めて訪れた北海道は登別でした。その時家内はこの余市に来たそうです。ニッカウヰスキーの発祥地です。
 工場はオープンで見学も自由という意外な工場は清潔で好感が持てます。
 学生時代は安いニッカウヰスキーしか飲めなかったことを思い出しながら、売店でここにしかない美味しそうなチョコレートを買い込みました。
 あすが今回の旅最後の日になります。今日中に神威岬、積丹半島に行くことにしました。
 神威岬は車を置いて20分ばかり起伏のある歩道を歩いて岬の突端に行かなくてはなりません。
 伝統的な女人禁制の地であったことからその歴史がわかります。
 積丹半島も突端まで歩くことになります。車で何もしなくてもそばまで行けるより、この方が神秘性があって良い思い出になります。
 
 そう言えばフェリーが小樽港を目指すとき一番長く見える岬が、この積丹半島の赤白灯台です。
 半島を巡り再び余市に戻ることにしました。
 最後の北海道晩餐は地元の魚屋さん直営の食堂です。地元の人に紹介してもらった食堂ですが、和食のメニューも豊富で、何より地元の人が利用しているお店で値段も手頃です。
 さっそくウニ丼を注文しました。ほろ酔い気分で、キャンピングカーが多く集まってきた道の駅まで戻り眠りにつきました。


7月19日木曜日:札幌、小樽
 最後の日になりました。札幌にはどうしても立ち寄らなければならないことがあります。
 2週間家を空けて旅をしているので地元のロータリークラブに参加できません。そこで札幌のクラブにお邪魔してこの穴埋めをするわけです。
 
 札幌の名所といえばテレビ塔、時計台でしょうか・・
大都市、札幌を歩いている限り北海道を忘れます。
 
 そして最終の町小樽に向かいました。この日の出航は深夜23時45分ですからそれまでゆっくり時間があります。
 小樽の煉瓦倉庫街を歩きました。ここは完全な観光地になっています。本当の小樽はどこかにあるのでしょうが、これは次回の課題にしておきましょう。

 7月20日はまるまる船の中です。舞鶴から自宅まで3時間・・家に着くのは21日になった深夜になりそうです。
 舞鶴港で下船して懐かしのマイホームを目指しました。何のトラブルもなく走り続けられたことに何より感謝の気持ちで一杯です。
 7月21日深夜0時10分無事に我が家にたどり着きました。
 思いついてからわずかの時間ながら、移動距離5590km、自走距離3500km・・快適で感動的な北海道を旅することが出来たことは生涯の思い出となりました。
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