中波ラジオを話題に

1.神戸で茨城放送が聴けるか
2.阪神大震災の朝、ラジオは!
3.ラジオの無い家
4.ラジオはFM放送のこと
5.ラジオと災害グッズ
6.ラジオって必要?
7.AMラジオを衰退させた犯人
8.BCLブームの終焉
9.ラジオメーカーが消える
 神戸で茨城放送が聴けるか?
 答えは・・聞こえます。もちろん聞こえるのは夜で時間帯によって強弱があります。IBS茨城放送ラジオの周波数は1197khzですが、この周波数を神戸で聴くと五つのラジオ局が確認できます。
 ここで電波を出している局はパワー順に、熊本放送10kw、茨城放送5kw、STVラジオ旭川3kw、高知放送中村1kw、RKB毎日放送北九州1kw、信越放送諏訪100w、岐阜ラジオ萩原100w、と何と7つのラジオ局が同じ周波数で放送をしています。神戸で聞こえるのはこのうち上位5局です。

 熊本放送は同一周波数の1kw局3局を含め10波を持ち、トータルすると20局の電波が同じ周波数で出ていることになります。条件的には最悪の周波数ですが、不幸中の幸いは外国のラジオ局の混信がないことです。
 このように若干の努力を伴いますが、神戸で茨城放送が聞こえるのですから、皆さんの住まいでふるさとのラジオを聞くことは充分可能です。
 広域ラジオ放送と言われる50kw局は、専用周波数が割り当てられているため、基本的に全国どこでも聞くことができます。少し工夫が必要だとお話ししたのは、5kw以下の県域放送のラジオや中継局のラジオをどのように聞くかという課題で、これから技術的な検証やレポートを交えてお話しを進めていきたいと思っています。


 阪神大震災の朝、ラジオは!
 1995年1月17日5時46分・・眠りを突き破るような衝撃に飛び起き、揺れが収まったあと真っ先にしたことは、暗闇の中手探りで探し当てたラジオのスイッチを入れたことでした。

枕元のラジオ

 地震直後からラジオのニュースは大きな地震発生の第一報を伝えていました。しかし、流されるニュースは、兵庫県南部で強い地震があっただけの繰り返しで、しばらくして震源地情報が流され、私の家からわずか数Km先であることを知ることができました。
 これが当日を含め私自身の判断ミスを招くことになりました。判断ミスとは震源地に近い我が家の被害状況から判断して、それより遠いところが壊滅的な被害を受けているとは考えなかったことです。
 これはラジオニュースのせいではなく、例外的とも言えるこの地震の特殊さでもあり、なにより予測を超える大自然に無力な人の哀しさのようなものでした。
 停電という現実の中で、とっさに利用できる手軽なメディアであるラジオに助けられた経験から、ラジオの使命を考えながら存在の価値がどこにあるか考えてみたいと思います。


 ラジオの無い家
 久々にラジオのパーソナリティーに復帰した2004年、宣伝も兼ねてラジオを聞いてよと!と声をかけたところ、ウチにはラジオ、無いねん・・と言った友人が一人や二人でなかったことに驚きを感じました。じゃあラジオは聴かないの?と尋ねたらラジオは車で聞くもの・・と実にわかりやすい答えが返ってきました。
 しかしラジオが家に無いなど断じてないはず、なぜならラジオは既におまけのものとして、ミニコンポや懐中電灯にも組み込まれ、しかも100円ショップにさえ売られています。

 家のどこかに転がっているはずのラジオが無いというのは過去の栄光の座にあった家電の象徴としてのラジオを指すのか判りませんが、要するにラジオなど聴く気がないと言う意思表示であることに気がつきました。
 要するにラジオが無くても何の不自由さも感じない、日常の生活では既に必需品ではないようで、現代社会からこのままラジオは消えてしまうのか・・そんな思いの中でラジオ応援団として本来のラジオらしいラジオにするにはどうしたらいいのか考えてみたいと思います。


 ラジオはFM放送のこと
 古い話になりますが、昭和35年に78回転でお馴染みだったSPレコードがその歴史を閉じました。これと同時に流行歌という言葉が消えて、歌謡曲と呼ばれる時代の始まりがこの年です。
 我が家の2台の車は、1台は住まいから少し離れた場所にガレージがあります。そのガレージに車を置いているのが息子ですが、私の留守中に乗っているようです。
 息子が車を使ったことが判るのは、決まってFM放送にダイヤルが合っているからです。私は車中では中波ラジオしか聞かないのですが、若い世代は習慣的にFMにダイアル(これが古い・・)をあわせるようです。

 昭和の中期まで流行り歌は時代を超えてみんなの共有文化でしたが、最近の音楽はきちんと棲み分けが進んで、おじさんはロックは聴かない・・若者は歌謡曲に見向きもしません。
 みんなで聞ける音楽、みんなで歌える歌が無くなったように、ラジオもおじさんはAM、若者はFMと境界線が決まってしまったのかお互いに見向きもしない時代になったのでしょうか。
 いや、それでもおじさんの方が柔軟でFM放送も結構聴いているのではないかと思われます。基本的におじさん達はラジオ好きであることがその理由です。


 ラジオと災害グッズ
 南海地震や東南海地震の発生周期に入り、それまで学者や関係機関の舞台裏情報であった研究結果が徐々にマスコミに公表され、にわかに庶民レベルの現実味を帯びた心配事の一つになりました。
 私も、総務省関連の勉強会に在籍していることから随分前からこれらの情報に接し、データや根拠がここまで揃っているならもっと積極的に対策を講じる方が良いのではないかと何度も感じました。
 阪神大震災の救援活動の際、充分な備えをしていなかった神戸とは対照的に、東海地震に備えて日常的に臨戦態勢である某県消防幹部とお話しをしたことがあります。
 その後も、事ある機会に「備え」に対する話題に及ぶのですが、もし阪神大震災レベルの地震に備える都市作りをすれば、年間予算のすべてを投じても対応は不可能でしょう・・と言うのが、共通の意見でした。
 つまり、最初から備えがない・・いや備えたいが不可能であるという現状を知ったとき、国のせいや行政の不備を指摘する前に私たち一人一人の「備え」がいかに大切かを知る機会でもありました。

 阪神大震災のちょうど1年前の同日、アメリカのサンフランシスコ、ノースリッジで大きな地震がありました。その時サンフランシスコタイムスが出した72時間論を見て、アメリカの備えは日本より数段進んでいる事を知りうらやましく感じました。72時間・・つまり3日間は、自分の力で生きなさい・・それからは救援の手に委ねてもかまいませんよ、という論理です。
 しかし、2005年ニューオリンズを襲ったハリケーンの被害とその劣悪な対応を見たとき、マニュアルは所詮紙切れにしかならないのかと愕然としました。阪神大震災の日を含め今後もいかに優秀なマニュアルを備えても、個々が日常に備える意識に勝ることがないことを実感しています。
 災害は予期せぬときに大きな被害をもたらします。何度繰り返しても反省をすぐに忘れる人間の本姓にはいかなる予算を投入しても過去にもこれからにも充分に対応できないわけです。

 前置きが長くなりましたが、既に避けられない大地震にそなえて各種の防災グッズが積極的に売られています。その中に必ずセットされているのがラジオです。家にラジオがないからと、大地震が起こって車まで行ってラジオを聞く・・また避難と称して安易に車を走らせることはいかに短絡的な思いつきであるが容易に想像できます。
 すぐにできる情報収集のためのラジオを、各部屋の懐中電灯と同じように置くことは何でもない投資です。阪神大震災の時は、歪んだマンションではバールや大型のハンマーがなければドアすら開けられなかったのですから、停電のなか孤立した部屋で情報の入り口として機能するのはやはりラジオではないでしょうか。

 阪神大震災時ではインターネットは強力な支えになりました。しかし、その頃通信インフラであった電話回線は何日も無音や話中音になって使えなかっただけではなく携帯電話が全く使えなかった事を見ると、電気に依存するツールの脆弱さを知るべきだと思います。
 その後の画期的な普及を遂げたインターネットの実力はこれから起こる震災にどう活躍するか未知数です。その点、既存のラジオは壊滅に値する被害を受けても比較的容易に情報の送り手になれます。
 神戸で被災したラジオ関西でその朝ミキサーを担当していたのは私の友人ですが、あの巨大なミキサー卓が足元に吹っ飛んできたなかで、わずかの時間で放送を再開させた事を見ると不屈のラジオマンの存在がどれだけ人々に勇気を与えたことでしょうか。
 いまでも台風の予想進路にある電気店から懐中電灯や電池が底をつくことがあるようですが、ツールとしてのラジオではなくてもせめて情報の入り口として無限の働きをするラジオを見直す必要があります。


 ラジオって必要?
 朝食をゆっくりとれるサラリーマンは幸せです。決まったテレビ番組のコーナー変わりで時刻を知り活動を始める人も多いようです。ラジオを同じように使っている方も多いようで、もしランダムにCMの時刻が変わるようでは大いに迷惑をします。放送に規則性が求められるのも納得できます。
 家を出て電車の中で目にする若者のヘッドフォン先は恐らくオーディオ機器でラジオではないと推測できます。方やイヤホンの中年男性のコードの先は野球中継、競馬、株式市況などと直結しているようです。
 ラジオの用途がこの時点で全く異なると言うことがわかります。

 私の携帯電話にFM放送の受信機能がついています。最近購入した友人の携帯電話はAMラジオがついています。その代わりカメラはありません。内蔵アンテナで結構感度も良く実用になります。気になるのは電池の消耗の度合いですが、大歓迎です。
 やがてテレビ付き携帯電話も標準になるかもしれませんが、情報スタンダードとしてのラジオが、年老いた二枚目俳優のように主役の座を取り戻すことは難しくても永遠のアイドルであって欲しいのです。
 私が唱えるうラジオはあくまでAMの中波放送であり、AMラジオの真の面白さは、失礼ながらFMラジオの比ではありません。聞かないから面白さが判らない、聞けないから何も判らない・・この悪循環を見直さねばなりません。その努力を中波放送に従事するスタッフはもう一度考え直さねばなりません。


 AMラジオを衰退させた犯人
 今でも電気屋さんの看板に「**ラジオ店」の名残を感じさせるものがありますが、電機製品の代表がラジオだった時代、ラジオ店に行けば時代の先端に触れることができ、新しい時代に巡り合うことが出来ました。
 大正13年(1925年)3月1日、日本で最初のラジオ放送が始まりました。放送開始当時わずか5000台のラジオが放送開始半年で10万、1年で20万台を突破したことからラジオに対する憧れがいかに大きかったかがわかります。この人たちはラジオのコマーシャルで情報を得たわけではないので余計にそう感じます。

 そのころの受信機はほとんどが「鉱石ラジオ」で、真空管のラジオは高値の花で、しかもラジオを聴くには「許可」が必要でした。AMラジオ放送が始まって80年ほど経ちますが、基本的な方式は当時と変わっていません。
 いまさら鉱石ラジオの話をしても始まりませんが、電波を使ったラジオがどうして聞こえるのかを知るためには知っておいて損はありません。
 昔のラジオも今のラジオも理論的に何も変わりませんが、使うパーツ類はかなり変わっています。この構造的な問題やコスト対策などで受信機としてのラジオは随分様変わりしました。
 アンテナは内蔵されず聴きたければ付属のループアンテナを取り付けてくださいと書かれているものが多く、ラジオを聴くだけで面倒なアンテナをつけなければならないことは、もともと重要視されていない中波ラジオ聴取の障害になっています。わざわざ付属品のループアンテナを付けてまでラジオを聴くことをしない人が現実に多いのです。
 複合音響機器のおまけのようなAMラジオは、余計にその傾向が強く音楽情報の一環としてFMラジオを聞くユーザーの陰に隠れてしまいました。
 AMラジオはアンテナを内蔵してスイッチを入れればガツンと聞こえなければならないというコンセプトは既に機器側の問題で排除されていることもありますが、もう一つの理由に共同住宅の便利さと裏腹に鉄筋シールド性の高いマンションでは益々ラジオを聴くことが難しくなっていることも大きな要因になっています。


 BCLブームの終焉
 1970年代から10年ほど、中高生の間でBCLブームがありました。私はその頃は聞こえて当たり前の商業放送をあえて聞く気にならなかったのと、すでに持っている設備では何の労苦をともなわない遊びであったために見向きもしなかったものです。
 その当時の多くの若者は、電波を聞くことから電波を自らが発射することのできるアマチュア無線に鞍替えして今日にいたる人が多くあり、私のBCL情報もこれらの世代から聞くことができます。
 そんな人たちに最近私が中波のDXにこだわっていることを話すと、さっそくチャレンジしてくれますが巨大なアンテナを流用して、数百万円の無線設備でレポートを送ってくれます。
 
 しかし、私が面白いと感じていることは単に聞こえると言うだけではなく、時間帯によって同じ周波数に5局聞こえる・・またそれを聞き分ける遊びを楽しんでいるわけで、その偶然性のためにループアンテナを自作したり、これらを組み合わせる事による新発見にときめきを覚えています。
 それでも、30年間のブームが去ったあとも熱心にこの中にいた多くの諸兄に敬愛の思いを込めて拍手を贈りたいと思っています。
 ただ、私がこだわっている中波を聞くことは短波の受信とはまた異なり、大変難しい工夫も必要です。ブームを呼び戻すなどと言うものでもないかなりマイナーな遊びかもしれません。
 これらは、人に押しつけるものもでもなく、若者に媚びるものでもないただ黙々と、そこには喜々として遊んでいる大人の遊びとしてのラジオがあり、その姿をみた周囲からそれなりの評価を受けるべきものです。
 流行りもない、気負いもない、ただインターネットにない不確実性を楽しむことに限りない喜びを密かに楽しむそんなもので良いと思っています。
 ブランデーグラスをかたむけながら、あるいはグラスの氷がカタッと音を立てて位置を変えるその繊細な時間をゆっくりと満喫したい団塊の世代の限りない夢であるからです。


 ラジオメーカーが消える
 数は力だ・・とは良く言ったものである意味真理でもあります。数は大きな力になりうるもので、そこにどんな背景があろうと競争の論理が働き進歩を生みます。理想論とか精神論などを駆逐する力も温存しています。
 そんな中、BCL愛好者にとって困るのは、ラジオを作るメーカーの減少です。減少という表現はすでに遅く現存では現存するごく限られた家電メーカーさえ将来ラジオを生産する保証はありません。
 ひょっとすると私が求めるラジオは、家電メーカーから消え、世界の無線機製造メーカーだけが生産する通信型受信機にすべてを委ねる時代も遠く無いかもしれません。
 受信機は自分で作るものと思っていた我々の世代は既に遠く、現実に個人レベルではどうあがいても特殊な事情の人でない限り自作は困難です。

 数の減少は、種の絶滅と同じ道を歩み、売れないものは作らないという商業の原則からみてユーザーが困る時代を迎えるのではないかと思います。
 現実に30年前のラジオが今なお遜色なく聞こえるし、生産終了機器から今後2度と現れないだろうと言われる名器が高額で取引されている事からも何かを悟ることができます。
 茨城放送を聞くために手に入れた受信機、アイコムのIC−R75もソニーのICF−7600GRもメーカーとともに共存する意識を、ささやかな感謝の気持ちで表したいと購入したのも事実です。
 一世を風靡した優秀なラジオメーカーのM社でさえラジオ事業部は併合され、今はその姿さえありません。もしかしたら将来撤退を悔やむ時代がくれば、新しいブームの再来と喜ぶことができるでしょう。