阪神大震災その日

ずえさんの御主人は、倒れるタンスを両手で支えて彼女を助け、ポニーとともに芦屋のマンションを脱出しました。ポニーは地震を予知していたようです。妙に鼻をクンクンさせたり、あまえたりして落ち着きがありませんででした。

西ノ宮の玲子さんとハノンは、お母さんの必死の活躍で無事でした。京都亀岡の訓練センターでは、とりあえず行ってみようと、多和田訓練部長と青木訓練士が車を走らせます。ラジオニュースは、被害のものすごさを伝え始めました。あっ、高速道路が横倒しです。今にも崩れそうなところを通りぬけて、夕方やっとエースの無事を確認しました。ポニーのマンションは無残にも立ち入り禁止です。夜になって近くの中学校に避難している、かずえさん一家に会うことができました。

その後シルキー、ポニー、エース、ハノン、ローラ達は亀岡の訓練所に一次避難する事になるのです。

達はふとんをふたつ並べて、恵子さんはそれなりに、私はタンスにそって寝るのがいつものことで、「ああ揺れている、地震だ」。そう言えばきのう夕食の時、大阪湾で震度二、「今度は 神戸だ」。お鍋をつっつきながらはしゃいでいたっけ。「やばい」、おもわず少林寺拳法の横受け身、下から突き上げられる力を利用して身体を翻しながら恵子さんをさぐります。逃げる逃げる。いないいない。いたいた。タンスがガタン、風圧がバブーン、ポンコツのプリンターが頭にパカン、部品がはずれてカランカラン飛び回り、買ったばかりでぴかぴかのコンピューターディスプレーが腰にズドン背中にゴロリ。

これはいけない。「えい」とはね揚げると、ガリガリ頭を削りながら部屋のすみにバキン、プリンターとサンバのリズム、揺れがいっそう激しくなる。ダーン ザー、「水があふれてる」。子供部屋で叫んでいます。

れがおさまるや、私はタンスの下敷きになっていたトランジスターを取ろうとしますがなかなかです。恵子さんは洗面所へはしります。やっとのことで取り出したラジオのスイッチを入れながら玄関へ、洗たく機のホースから噴き出していた水を、やっとのことで止め、恵子さんはずぶぬれ。

「淡路島で震度六、これはたいへんだ」室内の点検に動きまわる私達。ところが子供たちの動きがにぶい、「どうしたんだ、おまえたち」。「お父さん、真っ暗でなにも見えない」。明るくなるまで、彼らはじっとしています。「よーし、もう明るくなったろう、外の様子を見にいくぞ」。と子供たちを従えてさっそうと飛び出したものの、たちまち「おー 手引き手引き」やっぱり見えると言うことは素晴らしいことです。

ちなみに、鈴蘭台駅前にある農協の時計は、五時四十六分をさして止まっていました。

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