北海道2009
一昨年の夏、まとまった時間を頂き初めて海路、陸路を使った北海道の旅を経験しました。
22ヶ月たった、2009年5月17日から27日まで再び北海道にでかけました。
今回は、南北海度を中心に出来るかぎり海沿いを走ってみることにしました。

【タイトル写真:地球岬灯台】

2009年5月17日 日曜日

今回の旅の目的地は北海道釧路で、恒例の行事への参加です。
高速道路がどこまで走っても千円均一の話題でにぎわっていますが、5月の連休中我が家から見える明石海峡大橋の大渋滞に驚きながら翌日の朝刊の見出し、「四国まで66kmの大渋滞」のニュースに触れるとさすが車で走ろうという気が失せていました。

でも北海道はこの季節まだオフシーズンであり、都心部を離れることもありこの際陸路を北上し北海道入りを決めました。
新潟までは高速道路、それ以降は一般道路を走る計画を立ててみました。

車はおなじみの赤いキャンカー「還紅号」3才です。
5月17日午前5時1分、走行距離メーター33570kmが旅のスタートです。
走行ルートは阪神高速道路から、名神高速、北陸自動車道路を通り一日目の目的地は新潟です。

ゴールデンウイークが終わると名神高速のリフレッシュ工事が始まります。主に夜間工事ですが、通行止めになります。ただ、土日は千円サービス特典継続のために工事は休みですが、これ以外の工事があるので京都南からある区間は通行止めになります。幸い京滋バイパスがあるのでそちらに迂回すればこの問題も解決です。

北陸道は雨!ゆっくりの走行ですから恐ろしいくらいのスピードで車が追い越していきます。追い越されることがあっても追い越すことの無い走りにすっかり慣れっこになりました。
途中SAなどに立ち寄ります。久しぶりの尼御前SAは歩いて海岸に出られ、ほっとする休憩所です。急ぎ旅ではないものの明るいうちに目的地に着きたいのでどんどん車を進めることにしました。

ガソリンタンクの小さいクルマですからとにかく頻繁に給油しなければなりません。これが結構面倒です。
午後1時過ぎに魚津を通過し、新潟黒崎パーキングで休んで目的地、道の駅「胎内」に着いたのは午後4時過ぎになりました。
道の駅「胎内」はネットの案内によるとホテルありクアハウスあり一日のんびりと過ごせる道の駅と紹介されています。
行って見るとクアハウスはわかったのですが、道の駅がどこなのか判らず周辺をぐるぐるまわってみることにしました。
あれこれ周囲を回っても廃屋のようなレストラン跡や殺風景な場所で、もとの位置に帰ると、道の駅「胎内」の看板に「クアハウスたいない」のシールが貼られているのに気がつきました。どうやらネット案内にある宣伝文句は詐称で看板を付け替えて何とか道の駅を名乗っている感じです。
とにかく目的は温泉ですからどうでもいいようなことですが、道の駅の条件はどんな基準なのか興味が出てきます。
入浴料は500円、やや高めの設定ですが、入り口には町民は別料金・・と出ていました。

風呂の利用者は皆さん地元の方で、神戸からの旅人だと名乗ると色々周辺の環境を教えてくれました。道の駅についても「駅のレストランなんてオープンして2年もたたずになくなったよ!」
「このクアハウスのレストランも、今はない・・休憩場所に化けて何にもねーよ!」
湯船につかりながらこの話で実情が理解できました。

と言うことで入浴を終わると早速車内に戻り、世界で一番狭い晩餐会が始まります。
実はここに来て何も無いことがわかり一度町に引き返し食料の買出しをしたのです。お陰さまでゆっくりと食事を摂ることができます。
ただ不気味なのは夜間は私の車以外に何もいなくなるのです・・・。最近の日本も物騒ですから夜間の単独駐車には細心の気配りが必要です。

この道の駅胎内の駐車場の階段を上ると胎内観音があります。青銅製では日本一の観音立像だそうで結構有名だとか・・・
夕方到着、早朝の出発・・しかも雨!敷地内の郷土資料館にも入れず胎内の思い出はこの短い時間となりました。
2009年5月18日 月曜日旅の二日目

私のクルマ旅のスタイルは「お天道様と共に!」です。夕暮れまでに目的地に着いて朝日と共に目覚め行動を開始するというものです。
この日の起床は5時前・・草刈のおじさんの車が一台きて草刈エンジンがスタートしましたが突然激しい雨になり中断。

この雨で私の洗顔も遅れて胎内出発は6時半になってしまいました。きょうのルートは一般道を日本海に沿って北上し秋田まで行くことです。
胎内を出て荒れ模様の国道7号線を走ると村上市にはいります。日本海も大しけで、まるで低気圧を追いかけて北上しているようでした。

海沿いに面白い塩の製造所を見つけました、朝も早いのでまさか開いていないだろうと恐る恐る中にはいると釜が並んでおり、おじさんが一人薪をかまどに投げ入れていました。
「おはようございます・・」声をかけたのですが「・・・・・」無言です!
怒っているのかな・・と思ったのですが、とにかくこれま出会ったことが無いくらい無愛想なおじさんです。きっと良い人なんでしょう。でもこの人は、塩を売るために働いているのではなく作るための塩と格闘してるんだ・・と思いなおしました。
この塩作りは結構興味のある製法なのでめげずに色々質問をしました。
重い重い口から聞き出せたのは海水を15時間詰めて塩にするそうです。重い口と高価な塩のバランスが絶妙でしたが、この労力を考えるとさもありなんと思いました。
やがてクルマは山形に入りました。
午後3時を過ぎてしまいましたが男鹿半島の入道崎に向かいました。
日本海が一望できる、美しい海岸線の続く男鹿半島の突端が入道崎です。日本海の荒波の波食によって築かれ、落差30mもある断崖絶壁の海岸線を作っています。

そのくせ地上にめをやると草原が広がる不思議な景色をつくっています。
1898年(明治31年)に建造された入道埼灯台は、白黒対称の縞模様で一際目をひきます。
この頃にはお天気も回復し青空が広がり個性的な灯台をくっきり浮かび上がらせてくれました。

聞くところによると岬からの夕陽が美しく日本の夕陽百選にも選ばれている場所ですが、この日は時間的に少し早く夕日にお目にかかることはできませんでした。
ここはちょうど北緯40度の地点だそうです。
この日新潟から国道7号線を走り山形に入りました。酒田駅に立ち寄ったのは朝9時45分・・
昼食用に炊飯器のスイッチを入れるのが約1時間前です。車には1KWのインバータや発電機を搭載しているので走行中に懐かしい米の吹き上がる臭いを楽しみながら走ります。
この日の昼食は道の駅岩城です。

そして今夜の宿は道の駅「やたて峠・・・」昨晩の胎内のように看板に偽りありか不安な思いで到着しました。
この道の駅には温泉とレストランが一緒になった宿泊施設があります。
温泉入浴料は300円でとても良心的です。建物に入るといきなりエレベーターで4階にあがります。受付のおじさんが「露連風呂も4階です・・・・職員が手作りのものです、ごゆっくり・・」と声をかけてくれました。何で4階に露天風呂があるの・・と思いながら好奇心とともにエレベーターに乗りました。

山の斜面の立てられたようで4階が外とつながりそこに露天風呂があることが判りました。この温泉は鉄分を含んだ源泉で、汲み出た時は透明ですが空気に触れた途端真っ赤に変わります。
職員手作りの露天風呂は、一日交代で男女が入れ替わり2日滞在すれば木の風呂と石の風呂・・両方の雰囲気を体験することが出来ます。
ここの温泉は実に快適で最高でした・・もう一度訪ねてみたいと思う数少ない温泉です。
家を出てからおよそ1200キロ・・ここが旅の三日目の宿になりました。
2009年5月19日 火曜日

道の駅「やたて峠」はお気に入りの場所になりました。露天風呂につかりながら地元の方から周辺の見所を聞きます。ここはあまり人に教えたくない・・と思うくらいです。

朝食の片付けに少し時間がかかり出発は7時を過ぎてしまいました。目標時間を大幅に過ぎるのは珍しいくらいですが、それだけ気に入ったということでもあります。
峠から国道7号線に出ました。走ること2時間あまり、五所川原市にさしかかり太宰治の生家「斜陽館」の案内標識を目にしました。さっそく立ち寄ることにしました。

太宰文学の暗さが良いというファンも知っていますが、女性が多いように思えます。私はそう好きな作家ではなかったのですが、好奇心が沸いてきます。
行ってみるとさすが風格のある建物です。
太宰治の父津島源右衛門は明治の大地主で、入母屋作りのこの建物を当時のお金で約4万円をかけて造ったそうです。
階下に11室278坪、2階が8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせると宅地約680坪の豪邸です。
その後津島家も没落し昭和25年から旅館「斜陽館」として旧金木町の観光名所となり、全国から多くのファンが訪れていました。しかし、平成8年3月に旧金木町が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろしました。

恥ずかしながら斜陽館がこの場所にあったことを始めて知ったわけです。
斜陽館をでて約30分、道の駅「十三湖高原」に立ち寄りました。
ここの売店で見た丸々とふとったシジミ貝の素晴らしさ・・・思わず買ってしまいました。

聞くところによると津軽国定公園に指定されている十三湖は、岩木山を映しだし津軽の奥の院と言われています。中世の頃は、日本海最大の港町と言われ、多くの遺跡が残されています。
何といっても、村の特産であるしじみは大粒で、身がふとって旨みが強く日本一おいしいしじみと言われても納得がいく位立派です。スーパーのしじみとは全く違うよ・・といわれました。
美味しさの理由は、十三湖が川の水と海の水が混ざり合う汽水湖で、この混じり具合がしじみの生育に最適だからおいしいしじみが育つらしいのです。
お昼前に念願の竜飛御崎に着きました。
竜飛崎は、津軽半島の最北端で海峡に突き出た岬です。北緯41度15分21秒、東経140度20分45秒の津軽国定公園の一部です。

とにかく凄い風で岬に向かうと吹き飛ばされそうになります。海から一日中強い風が吹き付ける土地柄は冬でも降った雪が風に飛ばされ積雪することが少ないことも理解できます。
竜飛崎に風力発電の大きなプロペラがあちこちで見受けられるのもこの風を有効に活用するためです。
北海道の白神岬とは津軽海峡を挟んで19.5キロメートルの距離で正に竜飛御崎の地下が青函トンネルです。、太宰治が紀行文『津軽』で登場するのもこの竜飛集落描写で知られる漁村です。
車の通らない国道がこの竜飛崎にあります。
有名な国道339号線『階段国道』は全長338.2m、362段の階段でできています。
「階段」そのものが国道に指定されているのは全国探してもここだけのようです。
階段下の漁村まで歩くと結構時間がかかりますがちょっと息切れが心配です。
お昼になり、さあ・・青森に向かって出発です。
目的地は青函フェリー桟橋です。いよいよ北海道に入る準備です。

阪神大震災の年用事があり弘前まで走ったことがあります。阪神高速道路も名神高速も復興工事の真っ最中で、有馬の山を越え、数時間かけて中国道を利用し弘前に行った年のことです。
その時青森で立ち寄ったのが三内丸山遺跡でした。まだ発掘が始まったばかりで縄文前期の新しい発見でにぎわっていたころです。

折角の青森ですから、再び訪ねてみたくなりました。時刻はすでに午後3時を回っていましたが行ってみると驚くような立派な建物に変わっていました。
凄い予算が付いたことがわかります。中に入ってざっと見渡すと震災の年に見た遺構が復元されその時の情景が蘇りました。

あまりにも有名は遺跡ですが、ボランティアガイドさんに声をかけていただき丁寧な説明を受けました。
また新しい発見をした最高の時間でした。

ロシアから運んできたという巨大な栗の木で復元した6本の柱からなる櫓は壮観で、その当時日本にもこのくらいの巨木が沢山あったとのことでした・・
頻繁に給油しなければならない我が愛車の宿命は時として幸運を招きます。
青森で給油に立ち寄るとGSのお兄さんが前輪の空気が少ないようですね・・と声をかけてくれました。みると明らかに異常に気づきます。

このタイヤは、そろそろ消耗品でもあるバルブの劣化が起こっており、以前もスペアタイヤが同じトラブルを起こしています。そこで思い切って前輪すべて・・といっても2本ですがバルブ交換することにしました。
手際よく作業も進み「消費税はマケトイテ!と2本で3000円を支払いました。これで旅の安全が確保できれば満足です。確かに走りも安定しました。

青函フェリーの出発は午後8時青森市内で始めての外食に挑戦しました。
この日の夕食は折角ご縁をいただいたスタンドのお兄さんの紹介で、おかずがびっしり並んだ大衆食堂・・・まるで我が家の一年分のおかずが勢ぞろいした感じで、どんな高級レストランより満足できるところでした。
だんだん少なくなってきたこのようなスタイルの食堂は時としてありがたい気がします。
初めての青函フェリー乗船

生まれて初めて青函連絡船に乗ります。といっても今はフェリー・・・・昔の青函連絡船は古い写真でしか知りません。要するに津軽海峡を始めて渡るということになります。
青函連絡船は80年間に亘り本州と北海道を結ぶ大動脈として活躍しました。記録では1908年から1988年に終航まで、延べ71万8239回運航し、1億6112万7982人の旅客を乗せ、2億4697万 6302トンの貨物を積んで、8089万4813キロ(地球約2019周)の航海をしたとあります。現在、函館港内に「摩周丸」が保存・展示されています。

私が実際に青函連絡船に乗ったのは、その後神戸と横浜間のクルージング船となった十和田丸で改造されたばかりの船に神戸港で乗船したのが初めてで、実際の青函連絡船に触れた初めての経験でした。
現在の青函フェリーは、およそ4時間ほどの船旅です。青函連絡線に限りない思い出をお持ちの方も多いと思います。
真夜中の函館

函館着は真夜中、これは予定外でした・・・本当のところは深夜便に乗って朝方函館に入り食事をしてから次の行程に移るつもりでした。実際フェリーに乗船したのは夜の8時に青森を出る便になりました。
フェリーはがら空きで、広い船室もたった3人だけで軽いゆれの中で快適な眠りが出来ましたした。

函館に着いたものの市内には道の駅もありません。そこでコンビニを見つけ店長さんの許しを得てその駐車場に停めさせてもらいました。もちろん食事はコンビ製で、少しばかり売り上げに貢献したわけです。
目覚めと同時に店長さんから朝市の情報を聞き、さっそく駅に近い朝市に向かいました。
早い時間なので客は我々二人・・呼び込みに応えながら市場を散策しました。
2009年5月20日 水曜日 きょうの最終目的利は室蘭です。

函館の朝市は久しぶりでした。確か10年少し前に来たのですが、市場の建物がきれいになってかなり違います。
大昔、函館のガイドブックを手に朝市を歩き、朝にも関わらず海鮮どんぶりなどを食べ、味わいよりその値段の高さに観光客を馬鹿にしているのではないか!!と思ったことがあります。
あの価格を維持できたなら建物も新しくなるでしょう。ただ客足とこの価格がずっと連動するかは、はなはだ疑問でもあります。

魅力的な魚介類も多くありましたが、留守宅は猫と娘たち、宅配便もろくに受け取れないような環境なので自宅配送はあきらめ腐らない昆布や、車の中で贅沢が楽しめる自分達の食材だけを買い込みました。
そんなわけで函館を出たのは7時38分になりました。

今回は岬を巡りたいという思いもあり、折角の亀田半島ですからその突端を目指しました。
海沿いを走りたいと思いましたがカーナビは峠越えのルートを指します。素直にカーナビの案内通り走り着いたところが恵山岬です

恵山岬灯台の近くにある資料館「ぴかりん館」は、2階が吹き抜けになっており初代恵山岬灯台のレプリカがあります。この灯台は、明治23年に初点灯されたもので現在もこの灯台は日本の灯台50選に選ばれています。入館料は400円エライた高いなーと思いながら入りましたが、3階のティールームで無料のコーヒーサービスがあります・・・400円に妙に納得できました。
素晴らしい天気で遠回りしてよかった岬めぐりになりました。
国宝にめぐり合った・・

恵山岬灯台は快晴に恵まれすがすがしい景色をプレゼントしてくれました。
岬を離れ、亀田半島海沿いの県道を走りだすと道路標識に「大船遺跡」という看板が目に入りました。
旅の相方は考古学を趣味にしている家内ですから目ざとく看板を見つけ立ち寄ってみよう・・となるわけです。

大船遺跡は、縄文時代中期(4~5,000年前)の遺跡です。目の前には噴火湾が広がり、背後には「栗の木山」、また、サケ・マスが遡上する大船川も流れ自然環境に恵まれたところです。
この集落は500年以上続き、住居規模が非常に大きいということは食料資源が豊かで独自性のある精神文化が形成されていたそうです。

館内には北海道初の国宝「茅空(カックウ)」の土偶のレプリカが展示されています。何より館内撮影OKという気安さがあります。

平成8年の発掘調査で、竪穴住居96軒、食料を保存する貯蔵穴や、お墓など土坑64基などが発見され、大規模な集落跡であることがわかりました。出土した遺跡も膨大で、個体土器360点を含む約18万点が発見されました。

大船遺跡が栄えた縄文時代中期には、津軽海峡を挟んだ東北北部と北海道南部に「円筒土器文化」という共通の生活圏がありました。青森県の三内丸山遺跡はその代表的な遺跡ですが、大船遺跡は北海道側の拠点的集落の一つとして注目され、平成13年8月には、国の史跡に指定されています。
洞爺湖・昭和新山

洞爺カルデラは約10万年前に数回の噴火を経て形成されたそうです。このカルデラ内にできた湖が洞爺湖で、面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで3番目の大きさです。。
東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、中央に浮かぶ中島(面積4.85km²)の標高は455mです。
アイヌの人々は洞爺湖のことを「キムント(キム・ウン・ト)」(山の湖)と呼んでいたが湖の岸を意味する言葉「トヤ(ト・ヤ)」が和人により湖名とされ、地元では「どうや」と呼んだそうです。

昭和新山は、教科書で学んだ印象深い山ですが、標高398mの火山がたった2年間でこの大きさになったというものです。記録を観てみましょう!
昭和新山は、かつては有珠山の麓の平地の畑が火山活動によって突然隆起した山で、赤色に見えるのは土が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったものです。
時は1943年12月から1945年9月までの2年間、17回の活発な火山活動を見せました。当時は太平洋戦争中で、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。
地元の郵便局長、三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製した。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となった。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行った。このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山である。1957年には特別天然記念物に指定された。
室蘭温泉ゆらら

きょうの泊まりはまずむろらん温泉「ゆらら」から始めます。昭和新山から室蘭までは以外に早く1時間足らずの距離です。
室蘭の新名所、室蘭市白鳥大橋記念館「みたら」が道の駅になっています。白鳥大橋の完成により北海道縦貫自動車道や国道37号からのアクセスが便利になりました。橋のたもとに建つ道の駅です。ここは白鳥大橋の開通とともにオープンし、白鳥大橋の魅力を設計から完成、そして現在の姿まで余すところなく楽しめます。
白鳥大橋は、平成10年6月13日に開通し橋長1,380mの東日本最大の吊り橋です。
とにかく夕日の美しさは格別です、温泉につかって夕日を眺め北海道のこれからの旅の行く手に勇気がわいてくるようでした。
室蘭から地球岬へ
みたら室蘭の出発は午前7時何といっても前回行けなかった地球岬に向かいました。
室蘭市といえば、工業の町というのが私の中の最低限の常識です。確かに海側から町並みを見ると港湾都市として発展してきたことが垣間見えます。
チキウ岬は、北海道室蘭市母恋南町4丁目に位置し、太平洋に面する岬です。北緯42度18分3秒、東経141度0分7秒。内浦湾(噴火湾)の北側の湾口です。地図には地球岬と書かれています。
この突端のチキウ岬灯台は、北海道室蘭市にある地球岬の先端に立つ白亜八角形の大型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれています。この灯台は、1920年(大正9)4月1日に完成し、初点灯されましたが、それに先だって、1919年12月1日に霧信号所が設置されていました。また、1953年11月1日無線方位信号所が設置されましたが、1989年(平成元)7月31日に霧信号所廃止、1991年(平成3)4月12日に無人化、1992年(平成4)10月31日に無線方位信号所が廃止されています。
周辺は、室蘭八景の一つで、100m前後の断崖絶壁が約13kmにわたって連なり、太平洋に落ち込んでいます。地球岬」は朝日新聞社主催の北海道の自然100選で得票第1位となり、一躍全国区の知名度となった名所で、毎年、元旦には多くの人達がやってくる初日の出の名所になっています。
支笏湖
地球岬をでたところできょうはどのルートで進むか考えました。そこで始めての地、支笏湖に向かいました。
支笏湖は北海道千歳市にあります。ここが有名なのは日本最北の不凍湖であることです。
湖の名前はアイヌ語の「シ・コッ(大きな窪地)」からきているそうです。
平均水深は265mで最も深いところは363mで田沢湖に次いで日本で2番目に深い湖です。面積は日本で8番目、カルデラ湖としては屈斜路湖に次いで2番目に大きい湖です。この日は天気がよく湖の北側の恵庭岳がくっきりと浮かび、南側に風不死岳、樽前山が良く見えました。
なぜ凍らないかと言うと、面積は琵琶湖の1/9程度ですが、水深が深いため貯水量は琵琶湖の3/4に達するのでこの水量のため水温が下がりにくくなり滅多なことでは凍らないということです。
湖のそばに、支笏湖ビジターセンターがあります。ここは支笏湖を訪れた方々に、自然と親しんでいただくためにつくられています。
番外「花畑牧場」
クルマで移動中携帯電話が鳴りました。うちのスタッフから・・・「花畑牧場の生キャラメルが食べたい!!」「そんなもん・・どこにあるの?」「テレビでも有名でしょう・・」
というわけで急きょ予定をかえてその花畑牧場とやらに向かうことしました。
その為予定に無い高速道路走行に切り替え道東道を走り、夕張に出て樹海ロード、日高、中札内そして花畑牧場にたどり着きました。
時刻はすでに夕方5時16分、わずかに売店だけが開いていました。これが人気の生キャラメル・・・さっそく配送手続きをしましたが、クール宅急便神戸まで1500円1件5000円足らずのめっちゃ高価なお買い物になりました。
虫類
きょうは以前行った「ナウマン温泉アルコ236」に隣接する忠類道の駅がお宿です。
この温泉はアルカリ性単純泉で別段特記することもない温泉ですが、清潔な施設でサウナや露天風呂、ジェットバスなど充実した施設が人気です。
もちろん宿泊して周辺の散策にも便利です。

国道236号線に面した忠類の道の駅は、南十勝の観光情報や天馬街道・日勝峠の道路情報が得られます。ナウマン象記念館は全身骨格標本や発掘当時の模様が再現されています。
5月22日 金曜日
いよいよ釧路に入る日になりました。
07:00忠類出発・・、恋問道の駅に立ち寄りました。それにしても北海道の地名は面白いですね。
アイヌ語を和人が感じに当てはめたものが多いようで道路標識を見えいるだけで結構楽しいものです。
屈斜路湖
昼食は屈斜路湖あたりで摂る予定でクルマを走らせました。阿寒湖は旅館街に阻まれたイメージが色濃く残りあっさりとぱししました。
直行した屈斜路湖は日本最大のカルデラですが、行ってみると他の湖と違い人気が全くありません。ひっそりとしたたたずまい驚いたくらいです。
本当のシーズンは6月からとのことでしたが、北海道は団体客で支えられているのでしょうか・・
湖畔で同じ目的で釧路を目指す友人と合流し、昼食をご一緒することにしました、計画ではこの近くの川湯温泉に泊まる予定でした。
摩周湖
ここまできたら摩周湖です。一昨年小雨と霧で対向車のライトも見えない道路を恐る恐る登り駐車場にはいりました。
何も見えない摩周湖でしたが、今回も曇天・・・決して好天気とはいえませんが行ってみると湖全体を見渡すことが出来ました。
釧路
東藻琴芝桜公園
襟裳岬