富士登山
2010年夏 富士山
2010年7月25日 日曜日 21時神戸出発

いつの頃からか密かな思いを抱いていました。
それは、還暦を迎えた年の夏に富士山に登りたいという願いでした!
日本男児として生を受けたのですから、日本一の山、世界に誇る美しい富士山に登りたいという思いです。

その還暦の年はいつの間にか過ぎ、あれから3年の月日が流れていました。
振り返ってみると、時間があるようでまた無いような毎日をすごしていたのは事実ですが、こんなに時の経つのが早いものかと驚いたものです。

そして2010年の梅雨時を迎える前、今年の夏を逸すると永遠にこの願いは叶えられないのではないかという思いが強くなり富士山に登ることを決意しました。

富士山に関しては日ごろからそれなりに情報を集めていたのですが、いざ自分が登るとなるとあれこれ細かい注意事項を知り準備が必要です。
その前に、単独で行くのかそれとも比較的安全なツアーを利用するのか、など頭を悩ませます。

どうせ登るのですから、世界一のご来光をぜひ見たいと思いましたが、この希望を叶えるならどうしても夜間登山を選ぶことになるなど学ぶことも多いのです。

夜通し歩いて山頂を目指す経験は2006年1月に赤道に近い島スリランカの聖地スリパーダに登山して以来です。
宿を出てから部屋にもどるまで、14時間をかけて2500mの険しい崖を登るのですが、まさかあの夜と同じ景色に富士山で出会うとは思ってもおらず、聖地と呼ばれる場所がもつ特別な波動に不思議な神秘さを感じました。

あれこれ思いをめぐらせましたが、健脚とは言えない最近の私ですからゆっくり山頂を目指し、そしてご来光を拝むことが出来る地元のバスツアーを利用することにしました。
その出発時刻が7月25日の夜9時でした。

神戸を定刻より5分早く走り出しバスは、大阪、京都と順にツアー客を拾い、富士スバルラインを越え5合目の吉田口を目指すのですが、大型観光バスには総勢20足らずの客が乗り込み比較的ゆったりとした車内です。

大阪に差しかかると思いのほか大渋滞になりました。
この暑い時期に、外でバスの到着を待つのも辛いだろうな・・と考えるくらい予定の時刻を過ぎていました。
新大阪の待機場所にはトイレがないので、ここで乗客を乗せてすぐに京都に向かうはずだったのです。
しかしここで思わぬアクシデントが発生しました。

新大阪の発車時刻になっても一向にバスは動き出しません。
30分経ってもアナウンスも無く、どうせまた時間を守らない身勝手な客を待っているのだろうとと少々不機嫌な思いでじっと待つことになりました。

行程では早朝に富士山5合目に着いて食事をし、体をならしてスタートするのですから、明日のために出来るだけ早くバス車内の消灯を期待していたからです。
何度か運転席に聞きに行こうかと思ったのですが、意外と他の客もおおらかにじっと待っているのでそのまま待つことにしました。

しびれを切らしかけた頃運転手がマイクをとりました。
「新大阪で乗車するはずの添乗員が急遽京都から乗ることになったので、これから発車します・・」
これだけの説明ですからその意味がよく理解できませんでした。
バスは京都駅に向かいました。
京都駅に着いたのですが、バスは停まったままで、ここに来るという添乗員ははいつまで待っても現れません・・・
トイレの我慢もいよいよ限界となった客が次々下りてきました。

私もついに運転手に「いったいどうなってるの??」と聞くと「私らにも全く事情がわからないんですよ・・やっと会社と連絡がついて間もなく添乗員が来ます」という説明です。
情報をつなぎ合わせると、どうやらこのバスに乗る予定だった添乗員が緊急入院したので、別の添乗員が追いかけてくると言うことが判りました。

そんなことより大阪から我慢してきたトイレです。運転手に聞くとこの先の左にあります・・・というので、お連れがいたこともあり一緒に教えられた方向にいってみました。
最後には地下鉄の入り口まで入ったのですが、見当たらず引き返してみると、京都八条口のトイレは新幹線の終電が終わると閉鎖され入れなくなります。
とっくにそんな時間になっていました。

それでもトイレを我慢できない人たちは、道路を越えた遠くのコンビニに救いを求めることになりましたが、交通量の多い道路をわたりトイレに行かなくてはならないなんて、スタートから散々な旅の始まりでありこれでいいのか??という不信感が漂いました。
私も多くの人と同じようにじっと我慢をしていましたが、その場限りの嘘ばかりの説明が続くことから、この先ほんとに大丈夫かと・・・の思いでいっぱいでした!

やがて息を切らせて添乗員が到着しました。
顔を合わせた途端たまりかねて「どういうことかきちんと皆さんに説明したら・・!!」というしか言葉がありません。
緊急事態を聞いて急きょ自家用車で京都まで駆けつけたというこのバス会社の社員は「今回担当の添乗員が急病で緊急入院をした・・・・どういう事情か今はわからない!」といいます。

どう考えてもこれから我々を富士山頂に案内する添乗員の事情です!
客には健康管理や装備をきちんとしろ!というのに、大事な客を世話する添乗員が入院・・しかも何の連絡もしないなど、もってのほかです。
命にかけても連絡くらいするのが最低限の仕事でしょう。それすら出来ないような重症なら事前にその兆候はあるはずでそんな人を富士山の案内につけるなどとんでもないことです。旅行会社として大失態です。
もし登山中に同じことが起これば我々が添乗員を救出しなけれなならい事態を招くことになります・・・・

その社員が続けました。
このまま私がご一緒しますが、お客様のデータも何もありません。これから会社と連絡を取り朝までにご案内できるようにします!それまでゆっくりお休みください・・・
ゆっくり出来る雰囲気ではありませんが、とにかく大幅な遅れの中、京都駅をはなれました。

真っ先に向かったのは高速道路のトイレです。
ここでようやく客も落ち着いて眠りにつくことができました。

ここまでお話したらこの先どうなったかと興味をお持ちですね・・・・!続けます・・
もう最低というか危機管理の全く無いバス会社ですから、このあとの話は腹が立つよりお笑いの部類に入るくらいの出来事になりました。

26日早朝、富士スバルラインを超えて山梨県側の5合目吉田口に着きました。
ここで朝食をとり体を慣らし、8合目を目指す予定でしたが、出発時刻になってもまた一向に案内がありません。
昨晩から心つもりやタイミングを外され、しかも何の説明も無く「すこし待て・・」ばかりでしたから、まるで犬がお預けにあったようにじっと待つしかなかったのです。

たまりかねて京都から乗り込んだバス会社の社員に聞いたら「すみません・・あと15分で添乗員が着きます・・」ということでした。
ところが15分経っても30分経っても添乗員は現れませんでした。

そろそろみんなの怒りは限界になりました・・・
そこでこの社員に「なぜ夕べからそんな嘘ばかりをついてごまかすのか・・??」
社員がいいました。「大阪から添乗員が駅まで着いたのですが、乗ったタクシーが別の登山口である静岡側に行ってしまった・・・今こちらに引き返している・・」との話でした。

一瞬笑ってしまうほど馬鹿げた話です。
思わず、「その添乗員って子どもなの?自分の行き先も判らない人間が富士山を案内するの・・・?」と聞いてしまいました。

いやはや何でこんなことになるのか・・・いったいこの会社と契約している添乗員ってどんな意識で仕事をしているのか・・・不信感はさらに大きくなり、どんな顔をして私たちの前に現れるのか、どうやって山頂まで案内するのか??となったわけです。

「実に情けないです・・海外旅行なら出発できない事態です・・・」と神妙なバス会社の社員は、これ以上出発を遅らせると山小屋の仮眠や食事に影響が出るとのことで、その時点で決意をしたようです。
情けない状況の中でふと彼の足元を見ると、真新しいトレッキングシューズを履きいています。
私が山頂まで付いていきますと語りました。

ところがその足元はよかったものの半そでのYシャツ姿をみて、山岳ガイドがその申し出を認めませんでした。
なるほど足元はピカピカのシューズで決まっていましたが、Yシャツ姿とスーツに客もそれは止めた方がいい、と笑い出しました。
気持ちはわかるけど、これこそ本当に客が添乗員を助けなければならない事態になるよ・・となりました。

登山を断念した社員は、これから8合目を目指すが、今夜その山小屋に添乗員が追いつくので、しばらく我慢して欲しいと言いました。
社員が一生懸命やっていることは理解できるのですが、信じられないことばかり続くこの登山に、その頃にはすっかり仲良しになった客同士からホンマに大丈夫かな??とそんな声が出ていました。

登山のお話が本論なのですが、トラブルの話が長くなってしまいました。
実はその夜、目を覚まし山頂を目指す時間に静岡側に行ったという常識外の添乗員が顔をだしました。
「今頃何しに来たの???!!!」そんな声があがったのは言うまでもありません。

その若い添乗員はその後誠実に働いたのかと言うと全く違います。
客よりも先に休憩時間がくると我々の目の前で堂々と眠る大物でした。
この姿をみると。もし彼が誘導したら全く反対方向に向かうことなど十分に考えられ、もっとも危険な添乗員が我々に付いたという結論に至りました。

いかに疲れていてもこんな姿を客の前にさらすなどということが考えられません。
こんなレベルの者を危険な富士山の添乗員につけるというバス会社はかなり問題で、いつかは大きな事故を起こすことになるでしょう。

そもそもこの旅は、契約にもとづく約束を履行できなかったのですが、その後バス会社から「すみませんでした・・」の電話がありましたが、契約不履行については何の説明もありませんでした。
これで済んだという安堵感か、これがこの会社の限界だったのでしょう。
これで、この会社のレベルがわかり次の利用の際には大いに参考にしなければならない経験でした。
予定などあってないような事態に遭遇するほど、山の天気は変わりやすいものです。
前日の富士山は雷雲と豪雨、そしてヒョウが降る最悪の天気だったそうで、山頂を断念した人が多かったそうです。

5合目出発の予定が大幅に遅れたものの、オオボケ添乗員の代わりにもう一人山岳ガイドがつきました。
この方がよほど安心感があります。

誰でも良いから、頭数だけ合わせておこうというバス会社の対応とはまるで違う安心感です。
嫌なことは忘れて8合目の山小屋をめざして出発しました。
幸いなことにきょうのお天気は昨日と違いさわやかな青空に恵まれました。

吉田口のバス発着場は過密エリアです。
都会並みの混雑です。これは環境がどうのこうのと言う前の段階ですでに手の打ちようがないと感じます。

毎年30万人が富士山頂を目指すそうです。四つある登山口にバスとマイカーが押し寄せるのですから大変なことです。
すでに環境問題への対応が後手後手となり排気ガスによって森林の破壊が始まっています。
道路の両脇の木が枯れているところが目につきます。

この5号目まで容易に車が乗り入れることができる道路をつけた当時の富士山開発の判断が正しかったのかという疑問です。
道路は1、2合目まで、そこからはクリーンな登山鉄道を使う考えはなかったのでしょうか!
もちろんこの道路の恩恵を受けている私自身にも責任の一端があることを認めながら・・・

吉田口5合目から6合目にかけては、登山道なのに下り坂が多くあります。
この道を歩いていると富士山など何でもないハイキングコースに見えます。
富士山は5合目でも標高は2300mを越えます。
山頂まで6,3kmですから、この数字だけをみると誰でも登れるように思います。
ところがこれがどうにも手ごわいのです。

今回の登山は初心者向けのゆっくり登るコースで、グループをみると下は小学3年生、上は78歳までの混成チームです。
登山道に入ると都会並みの混雑から一気に解放されますが、これは一時的なもので山頂近くでは渋滞を繰り返し立ち止まることが多くなります。

我が初心者コースは脱落者をできるだけ出さない行程で実に頻繁に休憩します。
休まずゆっくりのほうが私自身楽なのですが、この休憩ですこしばかりリズムが狂います。
このあたりがグループ行動の良し悪しでしょうか・・・

正午に5合目をスタートして7合目の山小屋「日の出館」に付いたのは午後2時半でした。
ひと息ついてきょうの目的地8合目の山小屋をひたすらめざします。
7合目の標高は2700m、人によっては少し空気が薄く感じられるようです。
このあたりから山頂までは3.8km・・・なーんだ!と思いきや、所要時間は295分と書いています。
つまり普通に歩いても約5時間かかるというわけです。

歩いているときは何も考えないようにしました。
深い呼吸と、ゆっくりと息を最後まで吐き出すと体は自然に酸素を欲しがります。
歩みは出来るだけ小刻みにして歩幅を大きく取らないことです。
ただひたすらに歩き、止まらなければ少しずつでも山頂に近づくという、人生そのものの登山です。

ガイドのお兄さんからは時々大きな声で励ましの掛け声がかかります。
そしてようやくきょうの目的地、8合目の山小屋「太子館」に到着しました。

これからの予定はご来光に出合うために仮眠を取り、日付のかわる前に山小屋を出発します。
もちろんディナーの時間でもありますが、食事内容に不満を言ってはなりません。
この日の食事は、極端にルーの少ないカレーライスに鯖の煮付けが付きます。
ごはんは御代わり可能ですが、みんなが希望するととても足りないくらいです。
一人若者がいれば、そのテーブルの割り当ては終わるくらいです。

当然風呂はありません。アルコールもNGです。
ここはまだ快適な山小屋で、仮眠はひとり一つずつ寝袋が用意されます。
よく耳にする山小屋での頭と足を交互にして寝るスタイルではなく、みんな同じ方向に頭を向けて寝るので、寝返りを打ったら隣の臭い足に悩んだということは起こらないようになっています。
超高級山小屋というわけです・・・

出発までおよそ5時間の睡眠時間があります。
それぞれここで山頂に向かうために装備を整えるのです。山頂は真冬の東京よりずっと寒いそうですからそれなりの心つもりが必要です。
それが終わればあとは自分の世界となり静かな眠りが待っています。
起床時間は夜の11時・・・・いよいよ出発の時です。
眠くないといえば嘘になりますが、寝袋の中で朝まで眠るつもりは全く無いので、みんなさっと起き上がります。
それなりに緊張感があるのでしょうか。

いっせいに仮眠客が動き出すので、靴を履くスペースもありません「外でやれ・・」と追い出されます。
外の空気はかなり冷たく感じます。

富士山のトイレを利用するには200円のチップが必要です。
チップというのが妥当かどうかは判りませんが、すべて有料です。
山頂は300円ですから、9時間以上をかけて登る富士山ではトイレに要する費用もかなりの額になります。そして小銭は不可欠です、これだけでなく行列に耐える忍耐力が必要です。
山頂では30分待たないとトイレの順番が回ってこないこともあり、ことトイレに関しては富士山は大変な問題を抱えた山です。

問題というのはこれ以上のこのトイレがどのように処理されてきたか・・・ここに行き着くと思います。
富士山が世界遺産になれない理由の一つがここにあります。

山小屋を出発する前に水を買いました。
ペットボトル3本でしたが、1500円。
下界から比べると格段に高いのですが、これはある程度いたし方の無いことです。しかし、これを飲みトイレに行くとこの水に係る代金は2300円ほどの高額になる訳です。

富士山が本当に環境問題に取り組むなら、この排泄物を下界で処理するように工夫をしなければ世界に誇る富士山には程遠いかもしれません。
このあたりが、スイスの山々と根本的に違うところです。

ごみは当然ですが、自分が出したものはトイレを含めてすべて持ち帰るという形でもとらないかぎり永遠に解決しない問題であるということです。
8合目を出てて登り始めて2時間少し、本8合目のトモエ館に差し掛かりました。
標高は3400m・・・我ながらよくここまで登ってきたと思います。
雑念を捨て、小さなステップと深い息だけをこころがけてきた結果がこの地に立てる・・あと少し!

8合目の山小屋を出てから4時間、9合目を通過しました。
標高は3600m、ヘッドライトの灯りを頼りに、時には岩場にへばりつくように登ってきましたがいよいよ目的地が近づいてきました。

振り返ると同じように登ってくる大勢の登山者の頭上のライトが曲線を描きながら長い光りの線を描いています。
山頂に着いたのは朝の4:20になっていました。

もっと早く着くはずでしたが、9合目から山頂までは人の波で大渋滞となったからです。
ちっとも進まずまるで休憩をしているような歩みですから、前の人を追い越すこともできず、まるで首都高速の車の数珠のような感じです。

山頂下の鳥居をくぐり終着点に腰を下ろしたのは山頂の山小屋・・・・
気温は3度・・・リュックの中の水は冷たく何としても暖かいものが欲しくなります。

山頂では小さな「うどん」が900円でしたが暖をとるには最適の食事でした。
山頂では気圧が低く、このうどんも沸騰させても80度代の温度にしかなりません。
でも3度の外気と比べればこの温度でも十分です。

やがて空が白じんできました。
まもなくご来光の時間です・・
雲海は遥か下に広がっています。そう言えば登山中に聞いた雷鳴はすべて下から聞こえてきました。
まさに唱歌の通りの富士山です。
きょうの日の出は4時40分だとか・・・

うどんをゆっくり食べている時間はありません。
山頂は人であふれ立すいの余地もありません。

山岳ガイドは「あまり行って欲しくはないのですが下山道に少し進めばご来光のスポットがあります・・・」
これを聞いてその方向へ進みました。
小高い場所はここも人の波・・・
富士山の人気は恐ろしいほどです。
さあ、感動の一瞬がやってきました。
雲の間から静かに顔をのぞかせる太陽は言い表わせないほどのパワーを感じます。
これは単なる光りではない特別な波動です・・・
語る言葉が見つかりません!!
幸いにもお天気に恵まれた富士登山でした。
途中雲が昇ってきて何も見えない時もありました。山の天気のすさまじい変化を改めて感じました。

富士山で一番辛かったのは下山時です。
ある程度の覚悟はありましたが、下りの際の地面から押し上げる足への負担は想像以上でした。
このあたりが日ごろの鍛錬不足を表していることがわかりました。

ここで一番お世話になったのは添乗員が来ないために急遽助っ人にたった山岳ガイドの永坂君という青年です。
別に背負ってもらったわけではありませんが、私のペースにあわせてくれてゆっくり下山しました。

そのとき彼と交わした話は印象に残る話題で彼の人柄を感じさせるとても価値のある時間でした。
富士山の登山ガイドがどんな構造になっているか・・・富士山のこれから、など結構高尚な話になり、足の痛みを忘れるくらいでした。

それよりも、道端に咲く富士山にしかない花や珍しい植物のひとつひとつを丁寧に説明してくれました。
先頭はずっと前を歩いているのですが、この自然を確かめながら歩くこの時間は私一人のための付いてくれたガイドのようでした。
重い足をゆっくり動かしながら、スタート地点吉田口に到着したのは、7月27日午前10時8分でした。
見慣れた広場に到着したときほっとした思いと足の痛みが交互に押し寄せてきました。

足の問題は若干爪が長かったことも原因で足の手入れに問題があったこともあります。
とにかく精力的に、しかも誠実に務めてくれた登山ガイドの二人と、8合目でやっと我々に追いついた何もしなかった添乗員君といよいよお別れの時がきました。

なんといっても登ってよかったと満足感の漂う初めての富士登山となりました。
5合目にの登山道に、つい先週落ちてきたという落石がありました。
登山道をこえて大木をなぎ倒して止まっています。
富士登山は油断をすると大変危険な山であるということは実際に行ってみるとよく判ります。

これから帰途に付きますが、汗にまみれたままで帰る訳にはいきません。
西湖近くの温泉でまず汗を流し、そして昼食をとりました。
25日の夜、神戸を出てから3日目になります。

久しぶりに畳の上にすわった感じがします・・実際その通りですが、温泉に浸かってゆっくりくつろぐ時間が持て最高に幸せな思いでした。

いつも飛行機から見る富士山を見下ろしながら、雲の上に頭を出すあの山頂についに登ることができました。
長年の思いを実現できた2010年の夏・・・私にとっては最大の出来事になりました。